頭塔
奈良県奈良市 高畑町921番地
光明皇后の寵愛を得て勢いを得た僧玄昉は、聖武天皇の眼の病を契機として太宰府の観世音寺を造るとの名目で光明皇后により飛ばされている。不倫への懺悔の証が新薬師寺の建立である。その地で僧玄昉は死んでいる。その首が興福寺南院に落ちたと言われている。その僧玄昉の鎮魂のために建てられたのが頭塔。玄昉が興福寺僧てあったことから興福寺のスキャダルの証にもなっている。当時の最大の力を誇っていた興福寺の側に上に位置付けられる東大寺が建立された訳がそこにある。その後、聖武天皇の次の天皇であり独身の女帝が道鏡を寵愛し、奈良の仏教界が混沌とした。それを嫌った桓武天皇による平安京への遷都に繋がっていく。(梅原猛の「塔」)