弁慶石
京都府京都市中京区弁慶石町 三条麩屋町東入北側武蔵坊弁慶(辨慶)が愛した石で、触ると力持ちになれるという言い伝えも。
武蔵坊弁慶(辨慶)は、平安時代に活躍した僧衆(僧兵)。
弁慶は京で千本の太刀を奪おうと悲願を立て、道行く帯刀の武者を襲い、決闘して999本まで集めたが、牛若丸(源義経)と決闘して降参。
以後、源義経の家来となり、平家討伐で活躍、義経の兄・源頼朝と対立し、奥州平泉の藤原秀衡のもとにたどりついた。
藤原泰衡は頼朝による再三の圧力に屈し、義経主従を藤原基成の衣川館に襲った(衣川の戦い)。
敵勢を相手に弁慶は、堂の入口に立って薙刀を振るって孤軍奮闘するも、雨の様な敵の矢を身体に受けて立ったまま絶命、その最期は「弁慶の立往生」とも。