関帝廟
兵庫県神戸市中央区中山手通7丁目3-2神戸の関帝廟の歴史は1892(明治25)年、在日華僑として神戸で成功を収めていた呉錦堂氏たちが中心となり、華僑の寺院として東大阪市の布施にあった長楽寺が廃寺になるところを神戸に移転させ、宇治市にある黄檗宗の萬福寺の末寺にしたことに始まります。長楽寺は、中国風の外観から「南京寺」と呼ばれて崇敬を集めていました。このときには関羽雲長公像と十一面観音像、そして航海安全の神さまとして信仰を集めていた北宋時代の道教系信仰の開祖・媽姐(まそ)の像が祀られていたそうです。