「茨田」地名由来
大阪府大阪市鶴見区諸口3丁目
古代、茨田地域を含む河内国の多くは海「河内湾」であったとされ、河川の土砂により河内湾から河内潟、河内湖へと地形が変化し陸地が形成。
地域内の低湿地「茨田(万牟多)湿地」がツルの群生地で、仁徳天皇は渡来者の土木技術を活用して北の河の南端の支流「古川」に堤「茨田堤」を築き、農耕地を広げる我が国最古の国家的大事業を行い、淀川の治水に功績のあった河内の豪族、茨田連衫子の名に因み、地名「茨田」の由来に。
鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野で獣を捕らえる狩りをしていた際、千羽の鶴に金の短冊をつけて放したところ、この地に飛来して住み着いた。
その鶴を見物に訪れる人が増えていく中で地名「鶴見」の由来となったとか。