風間寺
大阪府堺市堺区七道東町195-5大坂夏の陣により、堺の町も激戦地となった。
徳川家康氏は、戦国時代の終結と天下平定を宣言、長谷川藤広氏を堺奉行に任命し堺の町割り(都市計画)を命じた。
風間六右衛門氏は、豊臣秀吉氏が埋めた周濠の土井川を掘り起し、散在していた寺院を集めた。
紀州街道沿いには商工業者を集め、長崎に匹敵する国際貿易港を目指した。
風間六右衛門氏は、法華宗(日蓮宗)の信者であった為、町割りに際して、法華宗の寺院の敷地が大きすぎると批判を浴びた。
町割りは、風間六右衛門氏の案が採用され、区画整理が行われた。
区画整理には、「丁目」はなく「丁」が採用。