生石神社
兵庫県高砂市阿弥陀町生石171宝殿山山腹に鎮座する神社。
崇神天皇の時代、国内に疫病が流行した。
石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとか。
1579年、羽柴秀吉が三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与するよう申し出たが、当時の宮司は神吉城主の弟であり、拒否したために焼き討ちに逢わせたとか。
焼け残った梵鐘は持ち去られ、関ヶ原の戦いの時に西軍石田三成方の勇将大谷吉継が陣鐘として使用した。
敗戦の結果、徳川家康が戦利品として美濃国赤坂の安楽寺(大垣市)に寄進している。
毎年10月には秋季例祭が行われる。