慶應義塾発祥の地記念碑
東京都中央区明石町11-11-先1858年、慶應義塾の起源は、福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷内に開いた蘭学塾に由来。
諭吉は、当地で蘭学の教授をはじめた。
また、福沢諭吉は大阪市福島区生まれ、緒方洪庵が塾長を務める大阪市中央区の適塾に入門。
以後、適塾で塾長をつとめており、出府にあたっては、同窓のなかから同行を希望した岡本周吉(のち岡本節蔵・古川節蔵・古川正雄と改姓名)を伴い、江戸へ下るという同窓の原田磊蔵と3人で、江戸に入った。
また、当地は、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らが集まって、オランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」を解読した場所として知られ、日本洋学発祥の地記念碑が建立。