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紫式部『源氏物語』の朝顔の斎院である賀茂斎院跡
現在、櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)がある。
賀茂斎王は、宮城内の初斎院で潔斎した後、卜定から3年目の四月に賀茂川での禊を経て斎院に入ったとの事。
賀茂祭に奉仕し、祭に先立って斎院から賀茂川に出て行う御禊や、斎院と上賀茂・下鴨両神社とを往復する斎王の行列は、見物の対象となっていたとの事。
葵巻に描かれる車争いは、この行列の見物での出来事が舞台になっている。賀茂祭の日、源氏も供奉のため参列する。その姿を見ようと身分を隠して見物していた六条御息所の一行は、同じく見物に来ていた葵の上の一行と、見物の場所をめぐっての車争いを起こす。
2020年9月10日
大徳寺の南門前の北大路通りを渡り、智恵光院通りを南下した住宅街の間に石鳥居を見つけたのでのぞいてみると、大きな木が目につきました。どうやら神社のご神木のようです。 ここは、「櫟谷七野神社」と言い、安産と、復縁、浮気封じの神さまが祀られています。浮気封じ…初めてお目にかかる神さまです。境内はこじんまりとしていますが社殿は最近建て直されたのかな、新しいです。 平安時代、文徳天皇の皇后・藤原明子が懐妊された際 安産の祈願のため大和国・三笠山から春日大神を勧請し祀ったところ、無事男の子を出産され、後に清和天皇となられたとか。
2017年4月28日
2017年4月21日
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紫式部『源氏物語』の朝顔の斎院である賀茂斎院跡
現在、櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)がある。
賀茂斎王は、宮城内の初斎院で潔斎した後、卜定から3年目の四月に賀茂川での禊を経て斎院に入ったとの事。
賀茂祭に奉仕し、祭に先立って斎院から賀茂川に出て行う御禊や、斎院と上賀茂・下鴨両神社とを往復する斎王の行列は、見物の対象となっていたとの事。
葵巻に描かれる車争いは、この行列の見物での出来事が舞台になっている。賀茂祭の日、源氏も供奉のため参列する。その姿を見ようと身分を隠して見物していた六条御息所の一行は、同じく見物に来ていた葵の上の一行と、見物の場所をめぐっての車争いを起こす。
2020年9月10日
大徳寺の南門前の北大路通りを渡り、智恵光院通りを南下した住宅街の間に石鳥居を見つけたのでのぞいてみると、大きな木が目につきました。どうやら神社のご神木のようです。
ここは、「櫟谷七野神社」と言い、安産と、復縁、浮気封じの神さまが祀られています。浮気封じ…初めてお目にかかる神さまです。境内はこじんまりとしていますが社殿は最近建て直されたのかな、新しいです。
平安時代、文徳天皇の皇后・藤原明子が懐妊された際 安産の祈願のため大和国・三笠山から春日大神を勧請し祀ったところ、無事男の子を出産され、後に清和天皇となられたとか。
2017年4月28日
2017年4月21日