芥川仇討の辻
3丁目-5 芥川町 高槻市 大阪府 日本江戸時代、西国街道・東海道・中国路の宿場町・芥川宿として栄え、賑わっていた。
幕府領であったが、高槻藩領となった。
江戸時代、石見国吉永城下(島根県大田市)で同藩に属していた2人の侍が美しい稚児の争奪を巡る争いが勃発。
邪推からもう一人の藩士を江戸表で殺してしまう。
殺された藩士の子息の助三郎は豊臣秀吉の時代に水軍の将として活躍し、賤ヶ岳七本槍の一人・加藤左馬之助嘉明の曾孫。
助三郎は京で剣客につき、剣術を学び、諸国を遍歴。
敵は芥川宿の旅籠に入り、宿を立ち去るところで討ち取り、本懐を遂げた。
討たれた八之丞は「自分は討たれて当然である。討った方に咎はない。」と書状を懐に忍ばせていた。