三軒家公園
神奈川県横須賀市鴨居4丁目1318かつては三軒の家が存在したことから三軒家という地名の由来ともなったとか。
また、周辺は三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎があり、三軒家砲台跡が残る。
1821年以後、浦賀奉行所によって管理。
1861年以後、江川太郎左衛門が引継ぐ。
1868年以降、海軍省から陸軍省へと引継ぐ。
1894年、着工。
1896年、完成。
1945年まで管理された。
観音崎一帯は明治時代、要塞となり、一般の人の立入りは禁止となった。
第一、第二、第三、第四、南門、大浦、三軒家各砲台などや、火薬庫などが築造。
三軒家砲台跡は別名、観音崎台場跡。