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ただ石碑があっただけでした笑 錦市場に帰るまでのついでに寄りました。 さすが京都なだけあって、歴史に関わる場所が多いですねー
2019年12月31日
1415年、日隆により、寺号「本応寺」として創建。 日隆は妙本寺4世・日霽に師事、法華経の解釈を巡って本迹勝劣を主張した日隆は、妙本寺5世・月明と対立。 本応寺は月明によって破却、日隆は河内三井の本厳寺、尼崎の本興寺へ移った。 帰洛して大檀那・小袖屋宗句(山本宗句)の援助により、本応寺を再建。 1433年、檀那・如意王丸から六角大宮の西、四条坊門の北に土地の寄進を受けて再建し、寺号を「本能寺」と改称。 以後、法華経弘通の霊場として栄え、中世後期には洛中法華21ヶ寺の一つとなった。 応仁の乱後、京都復興に尽力した町衆の多くは法華宗門徒で、法華宗の信仰が浸透し「題目の巷」と呼ばれた。
2019年11月13日
2022年2月4日
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ただ石碑があっただけでした笑
錦市場に帰るまでのついでに寄りました。
さすが京都なだけあって、歴史に関わる場所が多いですねー
2019年12月31日
1415年、日隆により、寺号「本応寺」として創建。
日隆は妙本寺4世・日霽に師事、法華経の解釈を巡って本迹勝劣を主張した日隆は、妙本寺5世・月明と対立。
本応寺は月明によって破却、日隆は河内三井の本厳寺、尼崎の本興寺へ移った。
帰洛して大檀那・小袖屋宗句(山本宗句)の援助により、本応寺を再建。
1433年、檀那・如意王丸から六角大宮の西、四条坊門の北に土地の寄進を受けて再建し、寺号を「本能寺」と改称。
以後、法華経弘通の霊場として栄え、中世後期には洛中法華21ヶ寺の一つとなった。
応仁の乱後、京都復興に尽力した町衆の多くは法華宗門徒で、法華宗の信仰が浸透し「題目の巷」と呼ばれた。
2019年11月13日
2022年2月4日