紀伊国屋文左衛門碑
和歌山県有田郡湯浅町別所165江戸時代に活躍した商人として知られ、略して「紀文」「紀文大尽」と言われた。
20代の頃、紀州みかん、塩鮭で富を築き、江戸八丁堀へ移住。
江戸幕府の側用人柳沢吉保や勘定奉行の荻原重秀、老中の阿部正武らに賄賂を贈り接近したと言われる。
上野寛永寺根本中堂の造営で巨利を得て幕府御用達の材木商人となるも、深川木場を火災で焼失、材木屋は廃業。
幕府から十文銭の鋳造を請け負ったが、質が悪く通用が停止されてしまったとか。
深川八幡に移住し、宝井其角らの文化人とも交友。
現在は、松下幸之助が建てた紀伊國屋文左衛門生誕の碑が建立されている。