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慶安元年(1648年)に創建された山王神社。長崎を訪れた幕府の老中・松平信綱が景色が近江の比叡山の麓に似ていて、地名も《坂本》と同じという事から、ここに比叡山坂本に置かれている山王権現を勧請することになったと伝わります。 地元の方は「山王さん」と呼んで親しんでいましたが、昭和20年(1945年)、原爆により社殿は倒壊、他の建物もすべて焼けてしまったと言います。 境内の入り口にそびえる2本の楠(クスノキ)も被爆し、枯れ木同然となったそうです。しかし、2か月後、樹木の裏側から新芽が芽吹き徐々に樹勢を盛り返し枝葉を茂らせていったのです。
2016年9月5日
8月9日の原爆投下により、爆風によってほとんど倒壊してしまいましたが、山王神社の鳥居だけ 爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残りました。
原爆の恐ろしさを伝えるものとしても重要な文化財です。
2015年9月19日
昭和20年の原爆を受けて主幹の上部は折れ、熱線で幹肌を焼かれた楠木。 一時は全く落葉して枯木も同然でありましたが、次第に生き返り樹勢を盛り返しました。 この大楠木は巨樹としてのほか原爆生き残りの樹木としても重要です。福山雅治の「クスノキ」はこの楠木を歌っているものです。
2018年9月19日
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慶安元年(1648年)に創建された山王神社。長崎を訪れた幕府の老中・松平信綱が景色が近江の比叡山の麓に似ていて、地名も《坂本》と同じという事から、ここに比叡山坂本に置かれている山王権現を勧請することになったと伝わります。
地元の方は「山王さん」と呼んで親しんでいましたが、昭和20年(1945年)、原爆により社殿は倒壊、他の建物もすべて焼けてしまったと言います。
境内の入り口にそびえる2本の楠(クスノキ)も被爆し、枯れ木同然となったそうです。しかし、2か月後、樹木の裏側から新芽が芽吹き徐々に樹勢を盛り返し枝葉を茂らせていったのです。
2016年9月5日
8月9日の原爆投下により、爆風によってほとんど倒壊してしまいましたが、山王神社の鳥居だけ
爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残りました。
原爆の恐ろしさを伝えるものとしても重要な文化財です。
2015年9月19日
昭和20年の原爆を受けて主幹の上部は折れ、熱線で幹肌を焼かれた楠木。
一時は全く落葉して枯木も同然でありましたが、次第に生き返り樹勢を盛り返しました。
この大楠木は巨樹としてのほか原爆生き残りの樹木としても重要です。福山雅治の「クスノキ」はこの楠木を歌っているものです。
2015年9月19日
2018年9月19日