大通庵跡
大阪府堺市堺区熊野町東5丁1堺に天王寺屋と名乗る豪商がいた。
津田宗及は、武野紹鴎の弟子であった父から茶の湯のたしなみを受ける。
今井宗久、千宗易(利休)は、同じ年頃であったことから、3人で茶会を開いていたという。
織田信長が堺に矢銭2万貫を支払うように命じ、堺がそれに応じた。
このとき、津田宗及は、織田信長の使者約100名を自邸に招いた。
この功績が認められ、津田宗及は明智光秀と親交を深める。
今井宗久、千利休とともに、織田信長の茶頭であった津田宗及(天王寺屋)が、父宗達の菩提を弔うために創建した寺院が、大通庵であった。
父宗達の号である「大通」をとって、大通庵とした。