なんばCITY(なんばシティ)周辺のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
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連日の大阪食べ歩きで足も胃袋もパンパン! お風呂もいっぱいあってとても癒されました(*´˘`*)♥
茶臼山古墳
茶臼山古墳は、天王寺公園に囲まれ、遊歩道が整備、河底池がある。 5世紀頃、この地の豪族のために作られた墓といわれる前方後円墳である。 1614年、大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となった。 1615年、大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となった。 明治以降は住友家邸宅の敷地の一部となる。 1925年、住友家から邸宅敷地(大阪市立美術館)、慶沢園とともに大阪市に寄付された。
真田幸村緒戦勝利之碑
1614年、大坂冬の陣が勃発。 1615年、大坂夏の陣が勃発。 1614年に勃発した大阪冬の陣では、豊臣軍と徳川軍による熾烈な争いを繰り広げ、豊臣秀頼方の戦国武将の一人、真田幸村(信繁)は出城「真田丸(現在の大阪市天王寺区餌差町)」を築城し、徳川家康方を圧倒させた。 当地は、真田幸村が緒戦にて勝利を収めた場所として石碑が建立されている。
折口信夫 文学碑
歌に志した折口信夫は頭角を現した。 筆名は、釈迢空。 国文学の民俗学的研究にも力を入れ、柳田国男の影響を受けながら各地方を探訪し、風俗習慣の解明につとめた。
小西来山十萬堂跡
1654年、俳人として知られる来山は、平野町の薬種問屋に生まれた。 その後、西山宗因に師事したが、芭蕉に近い境地をひらき、十萬堂に住み多くの名句を残した。 1945年、この建物は戦災で焼失した。
上方落語寄席発祥の地
かつて、ここは、上方落語寄席の発祥地として知られ、人気を集めている。 江戸時代末期、初代桂文治によって、坐摩神社の境内で小屋を開設し、本格的に活動し始めたことによる。
木村蒹葭堂邸跡
1736年、木村蒹葭堂は、酒造家に生まれた。 物産本草学(博物学)に精通した。 その他、オランダ語やラテン語を学び著作や画も残っている。 彼の名は博学多芸の代名詞ともなり、文人墨客との交遊が広かった。 また様々な種類のコレクションも残している。
難波御蔵 難波新川跡
江戸時代、幕府直轄であった天王寺御蔵と難波御蔵の2つがあった。 難波御蔵は飢饉に際して設けられ、幕府直轄の米蔵が置かれていた。 米蔵八棟は、災害時の救援米貯蔵の役割を担っていた。 1733年、「難波新川」が道頓堀湊町付近から難波御蔵へと流れた。 その後、いたち川へと流れていたが埋め立てられた。
心学明誠舎跡
1729年、石田梅岩を中心に心学が活発となる。 1785年、大坂の明誠舎は、梅岩の孫弟子井上宗甫によって開かれた。 1790年、明誠舎や静安舎、倚衡舎、恭寛舎、敦厚舎が設けられた。 1938年まで当地にあった。
植木屋吉助店跡
1692年、吉助氏は、植木屋を創業。 約3000坪の広大な敷地には、庭園を造営。 初夏の牡丹、晩秋の菊などのために花壇が設けられ、観賞用の座敷や四阿も建てられていたとか。 そのため、遠方からも見物客が訪れ、にぎわっていたとか。 「植木屋吉助」は、和漢の名木を船で各地に発送、江戸でも評判となった。 明治時代、松井吉助氏が植木商を続けていたが、廃業。
熊野第一王子之宮(窪津王子)
#史跡 #宗教施設
芭蕉終焉の地
#史跡
心斎橋・難波
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