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吉田城から豊橋を望んでいる。
永正2年(1505)に牧野氏が城を築いて以来の城下町として栄えた。 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒の大きな宿場だった。また、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が」といわれ、飯盛女の数も多い宿場として知られていたとの事。
2021年5月17日
吉田城
1505年、今川氏親の命により、宝飯郡の長山一色城主・牧野古白が入道ヶ淵に臨む岡に築城。 西三河・安祥城の松平長親による東三河進出、渥美郡全域で影響力のあった戸田宗光に対抗するため。 1506年、松平氏と今川氏の戦い後、牧野古白・野瀬丹波が討死。 二連木城や田原城に拠点を持つ戸田氏と、牧野氏が争奪戦を繰り返すため城主が交代。 1529年、西三河から松平清康(長親の孫)が進出、吉田城を攻略、三河支配権を確立。 1535年、清康が横死、松平氏の直臣の城番が撤退。 非直臣の城番の一人牧野成敏が城主に、牧野氏を追った戸田宣成が城主に。
2019年9月23日
2014年6月29日
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吉田城から豊橋を望んでいる。
永正2年(1505)に牧野氏が城を築いて以来の城下町として栄えた。
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒の大きな宿場だった。また、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が」といわれ、飯盛女の数も多い宿場として知られていたとの事。
2021年5月17日
吉田城
2021年5月17日
1505年、今川氏親の命により、宝飯郡の長山一色城主・牧野古白が入道ヶ淵に臨む岡に築城。
西三河・安祥城の松平長親による東三河進出、渥美郡全域で影響力のあった戸田宗光に対抗するため。
1506年、松平氏と今川氏の戦い後、牧野古白・野瀬丹波が討死。
二連木城や田原城に拠点を持つ戸田氏と、牧野氏が争奪戦を繰り返すため城主が交代。
1529年、西三河から松平清康(長親の孫)が進出、吉田城を攻略、三河支配権を確立。
1535年、清康が横死、松平氏の直臣の城番が撤退。
非直臣の城番の一人牧野成敏が城主に、牧野氏を追った戸田宣成が城主に。
2019年9月23日
2014年6月29日