黒田如水本陣跡
大分県別府市鶴見3859-12秀吉なきあと、黒田官兵衛の子黒田長政は家康の会津攻めに参戦。その後、石田三成の挙兵の情報を知った官兵衛は、天下取りの野望とともに、浪人から百姓まで寄せ集めの9000の軍勢を率いて豊後へ出撃。豊後高田城の竹中重利を攻撃後、大友軍が木付城を攻撃していると聞き2000程度の井上・野村隊を救援に派遣。
官兵衛の本陣は西軍の熊谷直盛の安岐城攻めを中断し、木付城へ向かいました。
官兵衛の接近を知ると大友軍は立石まで退却。黒田軍は立石に対峙する実相寺山とここ角殿山に布陣。
この石垣原を舞台にした戦いは「九州板関ヶ原の戦い」と言われています。