智識寺跡
大阪府柏原市太平寺2丁目15別名、知識寺。
600年代、茨田宿禰を中心とした「知識」と呼ばれた仏教信徒の財物及び労力の寄進によって建立。
従来、民間の力で建立された寺院を「知識寺」「智識寺」と称したが、その中でも河内六寺の一つで河内国の知識寺は後に「日本三大仏」に数えられた廬舎那仏を安置するなど、大きな規模を持っていた。
廃寺となった太平寺からは白鳳期の瓦や薬師寺式伽藍配置の痕跡などが発掘。
740年、聖武天皇は同寺に行幸、廬舎那仏の姿に魅了され、後に東大寺盧舎那仏像を造像するきっかけになったとか。
聖武天皇の娘にあたる孝謙天皇も2度、行幸。
765年、国家は同寺の保護に乗り出し、封戸50戸が寄進。