うなりくんと出会って、うな重を食べて、成田山新勝寺でお参りして
千葉うなりくんと出会って、うな重を食べて、成田山新勝寺でお参りして
まいどまいど! 大阪とは何かと縁の深い千葉県成田市にお邪魔しまんにゃわ~。 まず、大阪と何が縁が深いのか。 それは、関東地方で毎年、1位、2位を争うほどの人気を集める成田山新勝寺さんでんな。 実はここのお寺さん、真言宗智山派の大本山の一つとして名高いですが、新勝寺さんの別院が大阪府寝屋川市におまして、主に「鬼門除け」として広く信仰を集めてはります。 元々は、大阪府の北東部(守口市、門真市、寝屋川市、枚方市)は大阪市内から見て鬼門にあたり、鬼が出ると評判で、宅地開発も極端に遅れていました。 当地を走る京阪電車は「鬼は出ない」ことを実証する為、成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼、建立へと至至ったとか。 今も交通安全祈願、人車一体の祈願を行った最初の寺として知られ、「福は内、鬼は外」と言わず「福は内」のみを連呼(成田山には鬼がいない、追い払う必要がないため)。 そんなこんなで、大阪と縁の深い成田市の新勝寺さんですが、周辺には、明治時代から続く「うな重」の美味しい老舗や健康に良いと評判の酒を今に伝える酒蔵、明治時代から続く老舗の味、羊羹など、成田市の魅力が盛りだくさんのプランでおまっせ!
千葉県成田市のマスコットキャラクター「うなりくん」。 成田市特別観光大使として活動中。 誕生日は、11月21日。 出身地は、うなり星。 宇宙から飛んできて、成田国際空港に降り立ったことがきっかけで成田市に住むようになった。 性格は、うなぎだけにつかむどころのない性格。 好物は、成田名物の羊羹、鉄砲漬け、さつまいも、レンコン。 口癖は、「うな」。 「うな」と頷きながら話す。
いえずみ君
注文住宅・不動産事業を手掛ける徳川家住(メッドコミュニケーションズ)さんで活躍するマスコットキャラクター。
京成電鉄東成田線、京成本線の停車駅の一つ。 付近には成田国際空港があり、駅周辺にはビジネスホテルなどの宿泊施設などがある。 また、関東地方では有数の成田山新勝寺があり、家内安全や交通安全などで参拝に訪れる人を中心ににぎわっている。
時計台
指定された時刻になると時計台が自動的に動き出し、見物客を楽しませてくれる。
千葉県の北部に位置する印旛地域の一部で東京一極集中の回避を目的とする業務核都市。 国家戦略特区、構造改革特区、国際観光モデル地区、国際会議観光都市、国際教育推進特区、国際空港特区、国際ビジネス・イノベーションの拠点空港都市に指定。 特に成田国際空港は国際線旅客数及び貿易額は日本最大。 財政力指数は日本全国813市区中第4位。 成田山新勝寺(成田参詣)は初詣の寺院参拝客数日本一。 門前町の歴史的な町並みは日本遺産に認定。 宗吾霊堂と合わせて二大霊場とも。
全国総合一位!?
明治時代、宮内庁下総御料牧場が置かれ、1950年代まで観光と農業の振興を二大施策とした田園都市であった。 2009年、東洋経済新報社「住みよさランキング」では「安心度・利便度・快適度・富裕度」の4つの観点から全国総合1位。
園内には、芝生広場、自然石を使用した流れ、市の花に指定されたアジサイが植栽されている。
ミニSL
園内にはミニSL用の線路が整備され、ミニSL運行が月に1度、行われているとか。
D51形蒸気機関車609号機
D51形蒸気機関車609号機が静態保存され常設展示。
D51形蒸気機関車609号機
1940年、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、日立製作所により製造された単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車。
JR東日本成田線の成田駅または京成電鉄京成本線の京成成田駅から続く表参道。 近くには関東地方でも有数の成田山新勝寺があり、多くの参拝客でにぎわっている。 表参道は江戸時代より門前町として栄え、今でも名物のうなぎ料理をはじめ、多くのレストランやお土産の販売店、宿泊施設などが軒を連ねている。
街づくり発祥の地
東日本旅客鉄道(JR東日本)の成田駅または京成電鉄京成成田駅から成田山新勝寺へと続く参詣道の一つとして知られる表参道。 周辺には昔ながらの雰囲気漂う景観が残り、特に上町地区ではこのファサード整備、セットバック、電線類地中化事業を実施し、平成17年度都市景観大賞「美しいまちなみ優秀賞」を受賞。
蔵の井戸水を飲んで「病気が治った」と参詣客の間で評判を呼び、長命延命霊力の酒という意味を込めて命名されたという成田の地酒「長命泉」。 江戸時代、参詣宿泊した折に夢で見たお不動様から「ここでお酒を造りなさい」とのお告げを受けて滝澤栄蔵が酒店を開業。 蔵元では、酒造りの期間中に酒蔵見学することができる(11月末頃から2月頃まで)。 「なごみの米屋 總本店」敷地内にある「お不動様旧跡庭園」は、成田山新勝寺の御本尊「不動明王」が遷座されたといわれ、庭園の一角には「不動の大井戸」がある。
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店先には「千葉が好き」との文字が書かれ、いちご、巨峰などの直営農場を持っている。 焼チーズカレーパンなど焼きたてパン、名物の祭り寿司やうなぎ稲荷などが店頭に並ぶ。 イートインコーナーもあり、ゆっくりとくつろぐことができる。
明治時代に創業。 成田山界隈でのお土産の定番「羊羹」をはじめ、手作り団子、ピーナツやさつまいもを使ったあんぱん、パンケーキなどが店頭に並ぶ。 特に、成田山新勝寺の精進料理「栗羹(栗むし羊羹)」を基に考案されたとい栗羊羹が人気。
成田羊羹資料館
なごみの米屋 總本店が歩んできた歴史や羊羹のルーツを展示、保存している。 また、成田山新勝寺と深い縁を持ち、成田山不動尊が当地に安置されたことをきっかけにお不動様旧跡庭園として大切に保存、管理されている。
940年、大本山成田山新勝寺は朱雀天皇の勅願により東国鎮護の霊場として開山。 最初に御堂が建立されたのは成田市域の公津ヶ原。 室町時代以降、衰退したが、成田村の名主諸岡三郎左衛門がご本尊不動明王のご尊像を自宅屋敷内に遷座させ、1566年まで、奉仕していた。 三郎左衛門は菓子を製造販売する米屋株式会社の創業者の遠祖にあたる人物で、その屋敷跡は現在のなごみの米屋總本店敷地内お不動様旧跡庭園の一帯にあたる。 また、地域の人々に愛飲されてきた霊水の湧く大井戸があり、諸岡三郎左衛門は、その大井戸から水を汲んでご尊像にお供えしたとか。
成田市やその周辺の観光情報の発信、無料休憩所としても利用することのできる施設。
羊羹と和菓子を製造販売する専門店。 1897年、創業。
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1899年、千葉県成田市生まれの俳人(本名はたか子、幼名は文子、旧号は東文恵)。 次兄・慶次郎が若山牧水、与謝野晶子に師事する歌人であったため、この影響で作歌をはじめ、剣三の俳号を持つ俳人で歯科医師の東謙三と結婚。 原石鼎の「鹿火屋」、小野蕪子の「鶏頭陣」等に入会し、「紺」創刊に参加、女流俳句欄の選者を担当した。 富沢赤黄男の「薔薇」、同誌の後継誌「俳句評論」に参加。 湊陽一郎と同人誌「羊歯」を創刊するが、「俳句評論」顧問となる。 昭和時代、女性俳人として中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに活躍し、四Tとも呼ばれた。
パンなどベーカリー専門店。 メニューは、うなぎを使用したうなぎぱんをはじめ、揚げパン、食パン、ラスク、コーヒー。アイスティーなど。 店内は座敷のみ。 パンなどのテイクアウトも可能。
コッペパン
あんバター、イチゴジャムバター、チョコクリーム、ピーナッツクリーム、タマゴサラダなど。
メニューは定番のうな重、天然の大井川共水うなぎのうな重と蒲焼、鯉の竜田揚げなど。 江戸時代、旅籠屋として創業。 駿河屋という屋号は創業者の駿河屋与兵衛が静岡県の出身であったことから。 第二次世界大戦後、旅館業から中食屋へと業務転換。 裂き・白焼き・蒸し・蒲焼きを一連でこなすため、注文を受けてから約20~30分はかかる。 代々受け継がれた「秘伝のたれ」は人気。
うな重
うな重(肝吸付)は、3450円(税別)から。
蔵造りの外観が特徴で、成田市やその周辺の観光情報を発信する観光情報館。 そのほか、外国からのお客様向けに、日本の文化を紹介する企画イベントも開催。 成田山新勝寺の表参道沿いに位置し、無料休憩スペースもあり。
成田市観光案内所
その他、成田祇園祭で実際に曳き廻されるという山車の見学が可能となっている他、「おどり花見」の花車などの展示コーナーもある。
1910年、うなぎ・鯉をはじめとする川魚を専門的に取り扱う漁師、養魚、卸問屋として創業。 本店は、江戸時代に建てられ、当時は、旅籠として利用されていたとか。 たれは、創業以来、薄甘口のものを継ぎ足しながら、今日まで受け継がれているといい、何度も蒲焼きがくぐったその“たれ”には、うなぎの旨みがしみ込んでいて、まさに秘伝の味。 店内は比較的に落ち着いた雰囲気の中で楽しむことができ、絶品のウナギを贅沢に使用した「うな重」が人気。
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成田ゆめ牧場牛乳を使用した牛乳はじめ、ヨーグルト、アイス、プリン、チーズモンブラン、パウンドケーキなどのスイーツ、パン、スコーンなどの人気商品が並ぶ。 特に、牧場牛乳を使用した牧場マシュマロ「ウシマロ」は人気で、雑誌やテレビ番組など各種メディアにも取り上げられた。
真言宗智山派の大本山の一つ。 本尊は不動明王、寺紋は葉牡丹。 別名、成田不動、成田山。 毎年、約200万人以上の初詣参拝客数が訪れる人気があり、明治神宮、川崎大師と並ぶ(千葉県内では1位)。 939年、平安時代に勃発した平将門の乱の際、朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。 寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、海路にて上総国尾垂浜に上陸。 平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。
成田山新勝寺の由来
成田村一七軒党代表の名主が不動明王像を背負って遷座されて伽藍を建立された場所が、現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺と伝えられ、「また新たに勝つ」という語句に因み新勝寺と名づけられた。
市川團十郎
江戸時代、東京・江戸で成田不動の「出開帳」が行われ、歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなども相まって、成田参詣が盛んとなったとか。
身代わり札と成田山新勝寺
「身代わり札」は「鉄砲玉から身を守る札」として日清戦争当時から軍人らに深く信仰されていた。 1938年、陸海軍に「新勝号」「成田山号」と名づけた戦闘機を献納、真珠湾攻撃の際にも深い縁を持っていたとか。
三重塔
国の重要文化財。 1712年、高さ約25mの塔として建立。
成田祇園祭
約300年の伝統を誇る「成田祇園祭」。
秋田竿燈
青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりと並び、東北三大祭りの一つとされる「秋田竿燈まつり」。 主に、秋田県秋田市で行われる祭りであるが、この日、成田市内で披露された。 竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る。 重要無形民俗文化財に指定。
ご当地ゆるキャラも登場
9月中旬ころに開催されている成田伝統芸能祭りでは、成田市内をはじめ、県内外から伝統芸能団体が一堂に会し、多彩な祭りや踊り、獅子舞といった伝統芸能を披露。 成田市からは、約300年の伝統を誇る「成田祇園祭」、元禄時代から伝承される「おどり花見」などが出演。
成田市のうなりくんも登場
江戸時代、初代市川團十郎が成田山のお不動様にちなんだ歌舞伎を演じ、成田山の御利益が広く広まったことから流行した成田詣にあやかり、「ご当地キャラ成田詣」も同時に開催。
1928年、開園。 園内には、3つの池、高さ約58mの「平和の大塔」が建立。
成田山公園
梅や紅葉の名所としても知られ、梅まつり、紅葉祭りも開催。
1902年、私立公共図書館の成田図書館として開館。 専門分野は、総合、仏教。 成田山新勝寺貫首石川照勤が成田山教育事業の一環として設立を発案。 1988年、改称。
野沢菜、たくあん、みそ漬け、南蛮漬け、鉄砲付け、茄子漬などをはじめとする漬物や惣菜その他の食品、お土産等が店頭に並ぶ。
辰っちゃん
タレントとして活躍する梅宮辰夫さんの関連するお店として人気を集め、店頭には、梅宮辰夫さんをモデルにした人形「辰っちゃん」も展示されていた。
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1910年、竣工。 2014年、土木学会により選奨土木遺産に認定。
成宗電気軌道株式会社
1908年、軌道事業や電気供給事業を主に展開する成宗電気軌道株式会社が設立。 1916年、成田電気軌道に改称。 千葉県から鉄道路線を譲り受けて成田鉄道(2代)と改称。 同社は鉄道事業廃止後、成田バスを経て千葉交通となった。
千葉県唯一の路面電車
成田鉄道の成田駅から、成田山新勝寺・宗吾霊堂への路線敷設が計画され、大阪の資本家才賀藤吉の援助を受けて実現。 千葉県唯一の路面電車として開業。
廃線
才賀藤吉が事業に失敗、東京の投機業者に買収された。 京成電気軌道(京成電鉄)の傘下となるも、1944年に廃線。
国際線や国内線、貨物便が発着する。 旧正式名称は「新東京国際空港」。 略称は、成田空港、成田。 開港は、1978年。 施設内では、お土産などを販売するショップ、レストラン、フードコート、展望デッキなどがある。
クウタン
千葉県成田市にある成田国際空港で活躍するキャラクター。 性別は、男の子。 年齢は、不詳。 現在はヒーローの見習いであるが、将来的には、立派なヒーローになるため、日々鍛錬しているという。 日課は、空港にいるみんなをHAPPYにすること。 趣味は、深夜の滑走路散歩。 性格は、さみしがり。 赤のマントに緑のマスクという服装が特徴。
成田国際空港の第1ターミナルにあるレストランの一つ。 店内は比較的に落ち着いた雰囲気で、カウンターまたはテーブル席がある。 店内奥のテーブル席からは成田空港に離着陸する航空機を眺めることができる。 黄金色の四元豚ステーキや牛カツ膳、ロイヤルカツカレーなどがあるなかで、おすすめの定食の一つ、黒毛和牛・黒豚バーグ膳を選んだ。 メインディッシュはもちろん、黒毛和牛・黒豚バーグで、ご飯やサラダ、汁物がセットになっている。 黒毛和牛・黒豚バーグは柔らかく、味わい深い。 成田国際空港で旅立つ人も見送る人も、遊びに来た人にも贅沢なひと時を。
ケーキや洋菓子、お菓子、ドリンクを販売する不二家。 ペコちゃんやポコちゃん、ドッグ、ラブリーキャティ、ベコラ、キャットなどの人気キャラクターに会えるかも。