
だんじり祭りはやっぱり岸和田で。
大阪だんじり祭りはやっぱり岸和田で。
まいどまいど! 岸和田城を中心に発展してきた大阪府岸和田市を皆様にご案内していきまひょ! 江戸時代までは繊維産業が中心となって栄えてきたんやけど、最近では、だんじり祭りが注目を集め、観光としての一面を持ってはりまんな。 だんじり祭りでは、曳き手が走り、速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」が見所やっちゅうことで、観客席でも一番、湧き上ります! でも、もともとは、岸和田市を含めた南泉州、そして関西を中心としたお祭やったんですよ。 せやけど、多くのメディアで取り上げられていくうちに、今や全国区。 だんじり祭り見物を目的に訪れる観光客でにぎわってまんねん。 ほんでまた、名物と言えば、「かしみん焼き」。 刻みキャベツと鶏肉(親鶏)と牛の脂のミンチを乗せて焼いた料理で地元の名物となってまんねん。 岸和田城周辺には、だんじり祭りの伝統と歴史の博物館として知られるだんじり会館や古い民家を再利用した飲食店など、岸和田市は魅力がいっぱいやで~♪
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飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 また、毎年、開催される名物「だんじり祭り」で、「だんじり」が勢い良く走り抜ける商店街としても知られている。 かつて、日本で一番高いアーケード商店街として注目を浴びていた。
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毎年9月、2日間にわたって開催。 1703年、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請した、岸和田藩主岡部長泰公が、米や麦などの穀物(五穀豊穣)が収穫できるように祈願した、が始まりとされる。 氏神社へ参る「宮入り」を行い、五穀豊穣・無病息災などを祈願する。 この際、広い範囲で交通規制が敷かれ、一般車両通行止めとなり観客数は約55万人。 見所は「やりまわし」と呼ばれる、加速しただんじりは、90度に方向転換させる。 だんじりは主に、木材を使用し、彫刻が施され、ている。 総欅造りまたは黒檀を装飾的に用いて、前方に約100mの2本の綱をつけ、約500人で疾走する。 和太鼓と鉦、篠笛が備えられている。
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大阪府岸和田市にある近代建築物。 1916年、建設。 現在は病院として利用されている。
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1929年、旧交野無尽金融岸和田支店として建設。 西欧風の外観に、1階は白の石造り風モルタル仕上げ、上部は煉瓦タイルとなっている。
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主祭神は、速須佐之男命、菅原道真である。 別名、沼天神と呼ばれている。 1360年頃、沼間将監氏の父が病に倒れ、困り果てていた。 国八坂神社に参詣した数日後、病が回復した。 沼氏は社殿を造営した。 現在では、沼の天神さんと呼ばれ、親しまれている。
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別名、千亀利城と呼ばれている。 1300年頃、楠木正成や和田高家らによって岸和田古城を築城。 別名、「岸の城」とも呼ばれている。 1827年、天守を焼失。 1871年、廃城となった。 猪伏山と呼ばれる小高い山の頂上付近に築城され、蟄亀利城と呼ばれるようになった。 「岸」の場所に和田氏が訪れた。 これが由来となり、岸和田の地名になったとの伝説がある。
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大阪を代表する「だんじり」の歴史や仕組み、さらに、岸和田市の歴史や町並みなどが詳しく紹介されている。 さらに、だんじりの屋根に乗る体験や体感が可能である。
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祭神は、天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命。 1600年代、小出秀政、松平康重らによって社殿を建立。
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一年に一度、開催される大阪の名物「だんじり祭り」で、「だんじり」が勢い良く走り抜ける坂としても知られている。
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紀州街道
大阪府と和歌山県を結ぶ街道。 大阪府内では住吉街道や熊野街道などと並ぶ歴史を持つ。 1700年頃、徳川家紀州藩による参勤交代に利用された。
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かつて、岸和田城の新御茶屋の新御茶屋として利用されていた。 藩主・岡部氏によって管理されていたが、財閥寺田家が造営した広壮な回遊式日本庭園として今も残る。 現在は、お屋敷料亭となっている。 正門は奈良東大寺塔頭中性院表門を移築した。 岸和田にゆかりのある楠木氏の「楠」の字をもじって「南木門」と称する。
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1997年、国の登録有形文化財に登録された。 寺田甚与茂氏は、岸和田紡績を創設した。 後に、渡辺節氏が設計し、寺田甚吉によって、この地に建設された。
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1997年、開業。 当施設はEAST棟とWEST棟の2棟に分かれている。 「カンカン」とは、岸和田だんじり祭の見所のひとつ「カンカン場」に由来する。 また、「カンカン場」は旧岸和田港の「看貫場」であったため、当モールは旧港の埋立地に立地する。 WEST棟は地上4階建て・地下1階。 3階にはユナイテッド・シネマがある。 EAST棟は地上5階建て・地下1階。 スーパーマーケットが出店している。
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多目的ホール。 2002年、岸和田市市制施行80周年を記念して建設された。 ここでは、仮設花道が設置され、歌舞伎や狂言などの伝統芸能、演奏会、コンサートなどにも対応する。 2008年、第47回日本SF大会「DAICON7」が開催された。
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岸和田城跡、だんじり祭りをはじめとする岸和田市内にある観光案内を行っている。
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浪切不動明王が祀られる。 1995年、岸和田港があった場所を埋め立て、遷座した。 かつての岸和田港では、船荷の重さを「カンカン」を用いて、量っていたため、地名が、カンカン場となった。 ここでは、岸和田だんじり祭の安全祈願が催される。
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お好み焼き、やきそばなどを味わうことができる鉄板焼き専門店。 店内はカウンター席のみ。 1971年、開業。 大阪府岸和田市で古くから愛されてきた郷土料理の一つ「かしみん焼き」。
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かしみん焼き
「かしみん・かしみ」とは、水に溶いた小麦粉を丸く伸ばし、刻みキャベツと鶏肉(親鶏)と牛の脂のミンチを乗せて焼いた料理。
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かしみん焼き
お好み焼きの具材である豚肉やイカなどを使用せず、「かしわ(鶏肉)」と牛脂の「ミンチ」を乗せて焼くことから、「かしみん」や「かしみ」と呼ばれるようになった。
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1914年、ステンドグラスを持つ南欧風の西洋館として開業。 「蛸地蔵」とは、付近に位置する「天性寺」の通称。 かつて、岸和田城に一揆が襲来したときに1人の大法師(地蔵尊の化身)と数千の蛸が城の危機を救ったことから、この寺に地蔵尊を安置した。 西駅舎の天窓にはこの「蛸地蔵物語」が描かれたステンドグラスがある。
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本尊は、阿弥陀如来と地蔵菩薩(蛸地蔵)。 岸和田城に高波が襲った時、海の彼方より大蛸に乗った法師が海岸まで近付き波風を鎮められ、城は救われた。 小牧・長久手の戦いが勃発し、羽柴秀吉が尾張へ向けて大坂城を出発。 紀州征伐で敵対する根来衆・雑賀衆が、岸和田城を攻撃した時、蛸に乗った一人の法師が現れて、紀州勢を薙ぎ倒した。 紀州勢が盛り返して、蛸法師を取り囲んだ。 海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、紀州勢を退却させた。 一氏は喜び、法師の行方を追ったが、不明に。 ある日、一氏の夢枕に法師が立ち、「地蔵菩薩の化身である」と告げた。 蛸を一切食べずに願をかける、風変わりな蛸絵馬が奉納。