昔ばなしの世界、山里の合掌集落を訪ねて 富山県五箇山へGO!
富山昔ばなしの世界、山里の合掌集落を訪ねて 富山県五箇山へGO!
日本昔ばなしの風景を求めて、山里の集落を訪ねてみた。 昔は山深く陸の孤島だったといわれる五箇山。 合掌造りの集落が昔のままの姿で残されている。 その風景を眺めて、建物内部を見学して、古くから伝わる文化に触れて、五箇山ならではのお蕎麦やお豆腐を味わった。とても充実した時を過ごした。 一番印象に残ったのは「村上家住宅」だ。 五箇山の暮らしや歴史の説明、五箇山民謡「こきりこの歌」も興味深かった。 「こきりこの歌」は音楽の教科書にあった。授業で歌った覚えがある。 「マドノサンサはデレレコデン」という歌詞とメロディは今でも覚えている。 五箇山の民謡だったとは知らなかった。 五箇山へは愛知県から車で日帰り。国道22号を岐阜方面へ。 そして一宮木曽川インターから東海北陸道を走り、五箇山インターで降りればすぐだった。
五箇山の上梨地区にある村上家住宅は、重要文化財。 江戸中期に建てられたと伝えられる4階建ての合掌造りの家屋だ。 建物内部の見学ができる。 1階から3階までいろいろな民族資料が展示されている。 館主さんの説明を聞いた。 五箇山の歴史や風土、そして五箇山の秘密。 「加賀藩は徳川幕府に隠れてこの五箇山で煙硝(火薬の原料)を製造をしていた。」と語る。 古くからこの地に伝わる民謡「こきりこの歌」を聞いた。 「こきりこの歌」に使われる楽器の説明もあった。
建物の中へ
外から見ただけだけではよくわからない合掌造りの建物。 内部に入ってはじめて建物の特徴、構造がわかった。
火薬の原料が作られていた
この建物の中で密かに煙硝(火薬の原料)製造されていた。 これは加賀藩により260年間、幕府に秘密にされていたとは驚きだ。
五箇山の歴史、文化を聞く
山深く、雪深い五箇山の歴史、ここで育った独特の文化について聞く。 古くから伝わる民謡「こきりこ」を館主さん自らが歌うのを聞いた。
囲炉裏端で
「こきりこ」民謡で使われる「ささら」という楽器も見せてもらった。 囲炉裏を囲んでの説明のあと、珍しい薬草茶のサービスもあった。
上に行くほど揺れる
合掌造りの建物は1階はがっしり造られているのに対し、上に行くほど柔軟に造られている。 つまり上に行くほど揺れる。
富山県で最古の建物が五箇山にあるというので立ち寄った。 本殿は1502年に建てられた古い建物。 重要文化財に指定されている。
神社の建物
キクリヒメを祀っている。古い建物だ。 泰澄大師により勧請されたと伝えられている。
周囲の山々を眺めて
五箇山は多くの観光客で賑わっていた。 ここだけはひっそりと静けさがあった。 空気がキレイ。 遠くの山々の姿がキレイ。
自家製粉したそばを使った専門店。 11時の開店前から並んで人気のざるそばを注文。 ざるそばは本格派。揚げ出しどうふが付いてきた。 自家製のしそジュースもおいしかった。
ここの豆腐は水気がなくて固い。独特のものだ。 大豆の栄養分が凝縮されているイメージ。 お土産にした。揚げ出し豆腐にしても、田楽にしても、スライスして「豆腐の刺身」風にわさび醤油で食べてもおいしかった。
流刑小屋は、「江戸時代の加賀藩の刑務所」だ。 雪深いこの地に罪人を送った。 脱走を防ぐため川に橋を架けなかったという。 この流刑小屋に収容されたのは貧しい農民ではない。 武士階級、政治犯などが収容されていたそうだ。 「加賀騒動」に関する者もあったようだ。 歴史ドラマが想像できるスポットだ。 残念ながらこの流刑小屋は近年復元されたもの。 江戸時代からのものではないそうだ。
東海北陸道の五箇山インターを降りるとすぐ見える合掌造りの集落。 ここに来ると合掌造りの家が立ち並んでいるのが眺められる。 絵のような景色が広がっている。 「ついに五箇山に到着。」と感激した。 集落の中には塩硝づくりに関する資料館もある。
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五箇山にはもう一つ世界遺産になっている集落がある。 白山宮の先を道路を進むと相倉地区合掌造り集落。 昔にタイムスリップしたような山里の風景。 昔ながらの生活を感じるスポット。