
住友さんのゆかりの地・新居浜で見つけた魅力
愛媛住友さんのゆかりの地・新居浜で見つけた魅力
まいどまいど! 今や日本を代表するグループの一つ、住友さん。 もとは住友財閥とも呼ばれ、住友政友による京都の富士屋にはじまり、グループの歴史としては世界最古。 源流は愛媛県新居浜市で1590年創業の住友金属鉱山にはじまるという。 住友さんは大阪とも縁が深く、多くの企業が大阪府大阪市の淀屋橋・北浜界隈に拠点を置いてはりますねん。 別名、「住友村」。 そう呼ばれるほど本社や支店など拠点が集中してはるっちゅうことでんな。 三井住友銀行、住友金属工業、住友化学の「住友御三家」、住友商事、住友電気工業、日本電気(NEC)3社を「住友新御三家」。 さらに住友金属鉱山、住友化学、住友重機械工業、住友林業は「新居浜4社」と呼ぶとか。 そんな住友さんの発祥ともいえる別子銅山が愛媛県の新居浜市におます。 大山積神社は住友さんによって創建され、博物館も隣接。 しかも無料で見学することもできまんねん。 三井グループや三菱グループにはない住友グループの魅力も探っていきまひょ。
別子銅山の歴史や技術を展示、公開している博物館。 1700年頃から約280年間、日本の貿易・産業を支え、現在の住友グループの礎を築いた。 1973年、閉鎖。 1975年、住友グループ各社が共同で設立。 館内は周囲の地質などを鉱石・模型などを用いて銅山や住友の歴史を紹介。 明治時代、日本で初めてとなる山岳鉄道の鉱山列車「別子1号」や各車両の現物が展示
別子1号機関車 坑内牽引トロリー電車などを展示
別子1号機関車 マイントピア別子で観光列車として走っている別子1号のもととなった車両として静態保存。 坑内牽引トロリー電車 第四通洞専用の鉱石と人の牽引電車 かご電車 1938年から1972年までの期間、東平から銅山峰嶺南の旧別子までの約4kmの坑内の人の輸送に使用。
別子1号機関車 坑内牽引トロリー電車などを展示
別子1号機関車 マイントピア別子で観光列車として走っている別子1号のもととなった車両として静態保存。 坑内牽引トロリー電車 第四通洞専用の鉱石と人の牽引電車 かご電車 1938年から1972年までの期間、東平から銅山峰嶺南の旧別子までの約4kmの坑内の人の輸送に使用。
住友グループの礎を作った別子銅山の守護神が祀られた神社。 祭神は大山積神、倉稲魂命。 1691年、別子銅山開坑の開始と同時に大三島の大山祇神社より勧請・創建。 鉱夫が入抗する際、坑口に奉られる御祭神を拝礼したという。 1893年、遷座。 1927年、遷座。 1928年、遷座。 1973年、別子銅山は閉山、現在も住友グループ各社により祭祀が行われている。
かつて別子銅山の労働者の社宅や厚生施設などが集積した地。 現在、総合運動公園が整備され、体育館・屋内温水プール・グラウンド・テニスコート・子供用遊具ゾーン、日本庭園がある。
別子銅山の労働者の姿が再現された像。 砕かれた鉱石を焼き、その焼鉱を一番吹更に二番吹きと「吹床」で吹きわけ、製品の一歩手前の「あらどう」の状態にしたとか。
正式名称は内宮天照皇大神宮。 祭神は天照大御神。 神紋は御所車。 706年、伊勢神宮の内宮から勧請して創建。 かつて伊曽乃神社と並ぶ「西の伊曽乃、東の内宮」と称された。 伊曽乃神社は天照大神の荒魂、当社は和魂を祭った。 毎年10月16日早朝に太鼓の音が鳴り響き、太鼓台が石段を登っていくとか。 天正年間、豊臣秀吉の四国攻めによって荒廃。 1614年、再興。 1698年、遷座。
別子銅山の施設跡などを利用したテーマパーク。 道の駅マイントピア別子を併設。 最後の採鉱本部が置かれた端出場地区を開発した端出場ゾーンと、最盛期の拠点であった東平地区を開発した東平ゾーンがある。 1991年、開業。 マイントピア別子の本館は天空の湯、キッズパーク、飲食・土産物コーナー、子供太鼓台展示・イベント展示場などがある。
発電所跡
発電所跡
観光鉄道
約400mの観光鉄道が開設され、片道数分で鉱山観光エリアと行き来できる。 旧火薬庫の観光坑道内に、江戸時代と近代の、別子銅山の様子が再現。
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