
東京駅周辺を一周する日帰り旅
東京東京駅周辺を一周する日帰り旅
まいどまいど! 日本の中心地っちゅうたら、やっぱり、世界の東京でっしゃろか。 まわりの多くは、関東弁。 まちには関東弁であふれかえってまんねやけど、やっぱり、方言っちゅうもんが一番、よろしいでんな。 さて、駅構内にあるエスカレータも関西(大阪や兵庫など)とは違って、左側に立ち、時々は戸惑いながらも、珍しい別世界の日常がそこにはおました。 東京駅構内にはぎょうさんのお店が立ち並んでおまして、見どころもたくさん。 東京駅構内には様々な飲食店、雑貨店、お土産専門店があり、地下街にはラーメンストリートやキャラクターストリート、周辺の大丸百貨店や八重洲地下街へと接続。 1日ではすべてはまわることはできへんかもしれまへんけども、それだけのおもろさが詰まってまんねん。 ほんでまた、東京の歴史は、大阪を中心とする関西が動かしてきたっちゅうても、過言やおまへん。 でも、そんな東京にも楽しみがいっぱい。 頭の片隅に関西を思いつつ、東京観光を満喫しまひょ!
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関東のターミナル・東京駅。 東海道新幹線、東北新幹線、東海道本線、東北本線などの主要幹線の起点駅でもある。 プラットホームの数は日本最大。 1941年、辰野金吾らの設計によって設計。 2003年、国の重要文化財に指定、「関東の駅百選」認定駅。
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赤レンガが特徴
1945年、丸の内側の本駅舎は東京大空襲によって焼失。
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東京駅の内部
戦災復興工事によって、ドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられた。 内部は3階の窓の開口部は保持。
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東京駅の内部
残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠されたとか。
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東京駅の歴史
これまで歩んできた東京駅の歴史の詳細が刻まれている。
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ドームくん
東京都千代田区にある東京駅で活躍するマスコットキャラクター。 特徴は、東京駅の丸の内口の赤レンガの建物がモチーフ。 東京駅は1914年12月20日に開業。 東京駅を中心とする東京ステーションシティやその周辺で活躍する。
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新幹線
多くの新幹線の車両が乗り入れする。
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新幹線
多くの新幹線の車両が乗り入れする。
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トーキョーハイボール
オエノングループの合同酒精株式会社「トーキョーハイボール」は東京下町大衆酒場で提供される人気の味を再現。 東京下町では「元祖チューハイ」として焼酎の炭酸割り(ソーダ割り)に、梅などの風味をつけて提供されるお酒が親しまれた。 「トーキョーハイボール」は「梅風味」と「しそ梅風味」の2種類。 そもそもウィスキーベースのハイボールは東京・下町では古くから焼酎をベースとした「下町ハイボール」が人気。
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トーキョーハイボール
かつて酒税法の関係からウィスキーが高級であったため、下町の庶民が比較的安価に手に入る焼酎を使用、代用品として考案。 「チューハイ」の「チュー」は焼酎の「酎」を「ハイ」はハイボールの「ハイ」を取った造語。
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東京丸の内駅舎ビール
麦酒をはじめ、ウイスキーなどを製造販売する新潟麦酒の商品の一つである東京丸の内駅舎ビール。 新潟麦酒は新潟県新潟市にあり、1997年に設立された。 東京丸の内駅舎ビールは東京駅舎をモチーフにした絵柄が描かれている。
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THE ROBOT BARISTA
東日本旅客鉄道(JR東日本)は2021年12月8日より、東京駅と横浜駅構内でロボットコーヒーバリスタ「Ella(エラ)」のテストマーケティングを開始。 シンガポールに拠点を置く企業Crown Technologies Holding Pte. Ltdが開発したEllaは次世代型全自動コーヒーマシン。 目的はバリスタが淹れたコーヒーと同等のクオリティで提供すること。
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THE ROBOT BARISTA
コーヒーマシンユニットはデロンギ・ジャパンの取り扱う業務用ブランド「Eversys(エバシス)」の業務用大型フルオートコーヒーマシン「カメオC‘2m」。 本格的なエスプレッソ抽出をベースに多彩なメニューを提供できる性能を持つ。 オーダーを受け付けるとコーヒーマシンにカップを置き、コーヒーを抽出して注いだカップを提供口まで運ぶ。
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THE ROBOT BARISTA
スマートフォンに専用のアプリケーションをダウンロードしてモバイルオーダー(クレジットカード決済)行なう。 または現地にてタッチパネルで直接オーダーするタッチオーダーができる。 モバイルオーダーの場合、予め注文しておくと時間の短縮にもなるとか。
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2013年、東日本旅客鉄道が運営する商業施設「東京ステーションシティ」として開業。 コンセプトは「東京駅が街になる」。 グラントウキョウノースタワーとグラントウキョウサウスタワーを繋ぐ大屋根・ペデストリアンデッキと店舗等から構成。 大屋根は「光の帆」をデザインモチーフ、長さは約230m、高さは最大約27m。 賑わい空間と歩行者ネットワークを形成するペデストリアンデッキは「先進性」「先端性」を象徴。 デザインコンセプトは建築家ヘルムート・ヤーン。 コンセプトはYaesu Sensational Scene(ヤエス センセーショナル シーン)。 新しい時間の過ごし方を提案する店舗が展開。
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Culture&Health
1階のテーマは「Travel」、肉と魚の2つのゾーンに分かれた各地の食が集結。 1階から中2階フロアのテーマは「Culture」、テイクアウトとイートインフロア、日本と世界の食文化を発信。 2階・3階のテーマは「Health」、ヘルシー料理とフレンチ茶懐石を提案。
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1930年、内閣総理大臣浜口雄幸は岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、特急「つばめ」号の1等車に向かってプラットホームを歩いていた。 このとき、一発の銃声が起こり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった。 かけつけた医師の手によって応急手当が加えられ、東京帝国大学医学部附属病院で手術を受けるも死去。 犯人は立憲民政党の浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、犯行に及んだとも。
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東京駅構内にある弁当販売店。 ここでは全国各地の有名駅弁が集結し、販売されている。 東京駅でおすすめの駅弁といえば、やっぱり、東京名物の駅弁「東京弁当」。 外観には旧東京駅やその周辺が描かれた絵が掲載。 早速、蓋を開けてみることにしましょう。
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東京弁当の蓋を開けてみると
東京弁当のふたを開けると出てきたのは、かつての東京駅とその周辺が描かれた絵の葉書。
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東京らしさが詰まった東京弁当
東京駅限定で販売されているという東京らしさがいっぱい詰まった駅弁「東京弁当」。 牛肉とたけのこ煮(浅草今半)、キングサーモンの粕漬焼(魚久)、玉子焼(すし玉青木)、野菜のうま煮(里芋・こんにゃく・人参・筍・牛蒡・南瓜・蓮根・絹さや)(日本ばし大増)、きのこの和え物菊花添え、蓮根のはさみ揚、和菓子、ご飯(秋田県産あきたこまち使用)、刻み梅、生しば漬け。
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JR東日本30周年記念 東日本うまいもん弁当
JR30周年記念弁当。 JRは従来、日本国有鉄道(通称、国鉄)と呼ばれ、現在のJR各社の前身にあたり、今年はJR東日本が発足して30周年に当たる。 JR東日本管内の17都道府県をイメージした料理を詰め合わせた弁当。
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JR東日本30周年記念 東日本うまいもん弁当
内容は、信玄鶏照り焼き(山梨県)、鮭の焼き漬(新潟県)、牛タン塩焼き(宮城県)、いも煮(山形県)、切り昆布煮、リンゴシロップ漬け(青森県)、野沢菜てんぷら(長野県)、あんこう唐揚げ(茨城県)、いぶりがっこ(秋田県)、深谷ねぎ柴漬け(埼玉県)、鰯つみれ煮(千葉県)、巻き湯葉煮(栃木県)、蒲鉾(神奈川県)、いか人参(福島県)、ピリ辛こんにゃく(群馬県)、深川めし(東京都)、浅炊き桜海老(静岡県)。
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深川名物貝づくし
昔から海と密接な関係であったという東京・品川。 今回は、貝が主役に採用されたといい、お弁当の茶飯の上には、ハマグリ、アサリ、しじみ、貝柱、焼きホタテがびっしり。
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深川名物貝づくし
アサリやハマグリの食感や味の違いを楽しみつつ、満足できるひと時でした。
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日本の味博覧
日本最大級のターミナル駅・東京駅構内で販売されていた駅弁。 パッケージには、青空と雲が描かれ、爽やかに感じる。
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日本の味博覧
夏バージョンのご飯は、生姜炊き込みご飯と黒米飯の2種類があり、おかずには、ヤングコーンドレッシング和えやトマト甘納豆など、夏の食材が添えられていた。
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1953年、東京駅名店街が開業。 2005年、東京駅一番街として開業。 地下1階、地上2階建て。 東京駅の八重洲側の地下街は「八重洲地下街」と呼ばれることも。 日本放送協会(NHK)や民間放送在京キー局のキャラクターグッズショップやホビーショップなどがある「東京キャラクターストリート」。 人気ラーメン店を擁する「東京ラーメンストリート」、土産物店が集積する「おみやげプラザ」、飲食店街の「ごちそうプラザ」などがある。
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飲食店街
八重洲北口エリアには飲食店街が集積する「黒塀横丁」「キッチンストリート」、「北町ほろよい通り」などがある。 イベントスペース「いちばんプラザ」では、テレビ番組や映画の宣伝イベント、キャラクターグッズやスイーツの期間限定店舗の設置などが行われている。
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木久蔵ラーメン
人気番組「笑点」等でおなじみの落語家・林家木久扇(旧名、初代林家木久蔵)による木久蔵ラーメン。 1982年、横山やすしとともに「全国ラーメン党」を結成し、販売を開始し、東京土産ランキングで1位に。 コンセプトは、昔懐かしい中華そば。 麺は中力粉と強力粉を混ぜた縮れの細麺で、スープは醤油を基にしたあっさり味。 パッケージには、林家木久扇と鞍馬天狗を元にしたキャラクター「ラーメン天狗」が描かれている。
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円楽腹黒拉麺
人気番組「笑点」でおなじみの落語家・6代目三遊亭円(圓)楽(旧名:三遊亭楽太郎)による円楽腹黒拉麺。 かつては、「腹黒時計」を制作していたといい、今回は同じ人気番組「笑点」でおなじみの林家木久扇に対抗して販売したという。 スープはブラック醤油味で、麺はもちもちストレート麺。
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東京ブラックサンダー
東京銘菓「常盤堂の雷おこし」とユーラク「ブラックサンダー」によるコラボレーションが実現した商品「東京サンダー」は、ピーナッツ、ココアクッキー、おこし種(パフ)を組み合わせた黒糖味のミニチョコバー。
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テレビ局のオフィシャルショップのほか、クレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃん、ハローキティ、リラックマ、ウルトラマン、プリキュア、ポケットモンスターなど、人気キャラクターのショップが立ち並ぶ。
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ちびまる子ちゃん
テレビ局のオフィシャルショップのほか、クレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃん、ハローキティ、リラックマ、ウルトラマン、プリキュア、ポケットモンスターなど、人気キャラクターのショップが立ち並ぶ。
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クレヨンしんちゃん
テレビ局のオフィシャルショップのほか、クレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃん、ハローキティ、リラックマ、ウルトラマン、プリキュア、ポケットモンスターなど、人気キャラクターのショップが立ち並ぶ。
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忍たま乱太郎
テレビ局のオフィシャルショップのほか、マスコットキャラクター「どーもくん」、忍たま乱太郎、チコちゃんに叱られるなどの人気キャラクターショップが立ち並ぶ。
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1907年、創業。 致しました。 初代、水原嘉兵衛は、井戸水を使用した水羊羹と葛桜を販売し、評判を呼んだ。 家号の由来は、創業地付近にある日本橋、新橋、京橋など、橋から眺めた水面に月がきれいに写っていたことからであるとか。
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東京駅に清月堂
栗を使用した「銀座だより」。 立派な袋に入れられた一つ一つの銀座だよりは風味豊かな和菓子で、贈答用にもピッタリの逸品。
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グラントウキョウノースタワー(地上43階建)とグラントウキョウサウスタワー(42階)の2棟で構成。 第58回BCS賞受賞。 デザインアーキテクトはマーフィ/ヤーン, Inc(ヘルムート・ヤーン)。 基本コンセプトはグランルーフを「光の帆(セイル・オブ・ライト)」、南北のタワー「水晶の塔(クリスタル・タワー)」。
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江戸時代、江戸の町奉行は南側と北側の2カ所に設置され、江戸市中の行政・司法・警察など幅広い分野を担っていた。 1806年、北町奉行所は呉服橋御門内(現在の呉服橋交差点、東京駅日本橋口周辺)に位置。 屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるとも。
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山形県酒田市で畜産、食肉加工販売、外食事業を行う企業。 1964年、創業。 とんかつや豚肉料理を主に取り扱い、東京都内にある東京駅では直営店が営業。 とんかつや豚肉を中心とした商品が並び、なかでも気軽に楽しむことのできる弁当も販売。
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和食中心の居酒屋で、店内は喫煙席と禁煙席が分離する。 北海道から直送されるという食材には定評があり 普段から女性客が多く、日替わり定食などが楽しめる。 この日の日替わり定食は、ご飯にメイン、小鉢、漬物、汁物。 そして、サービスドリンクにアイスコーヒー。 アイスコーヒー以外に、オレンジジュースなども。
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韓国ヤンニョムチキン専門店。 店内はテーブル席がある。 メニューは3種のチキン、ヤンニョムチキンバーガーなど。 コンセプトは「美味しく、かわいく、カジュアルに」。 から揚げ弁当など、テイクアウト可能。
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東京駅構内にある商業施設「GRANSTA」にある料理店。 「麻(マー)」と「辣(ラー)」の伝統的四川料理の代表格「麻婆豆腐」など本格的な中華料理を味わうことができる。 餃子などが盛り込まれた牛オイスタ弁当。
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焼鳥や唐揚などが弁当になった専門店。
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東日本旅客鉄道(JR東日本)東京駅の地下にあるラーメン専門の飲食店街。 コンセプトは「一週間通っても飽きない」。 東京を代表する名店が集結し、煮干しや中華そば、つけめん、塩、豚骨、味噌、魚介とんこつなど様々なジャンルから味わうことができる。 また「ご当地ラーメンチャレンジ」では全国のご当地ラーメンが約100日ずつ、第1弾から第7弾まで期間限定で出店。
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東京都や神奈川県を中心とする定期観光バス、貸切バス。 1948年、設立。 1963年、現在の社名に改称。 東京観光や日帰りツアーなどが楽しめる。
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江戸時代から明治時代にかけて活躍した武士の一人、官僚として活躍、鉄道発展に寄与。 別名、日本の鉄道の父。 1843年、山口県萩市の長州藩士・井上勝行の3男。 幼名、卯八。 通称、弥吉。 1853年、江戸幕府より黒船来航に伴う相模警備に命令され、沿岸警備にあたる父と共に神奈川県横須賀市に移住。 1859年、藩命で江戸の蕃書調所に入学、航海術等を学ぶ。 藩校明倫館で勉強、開明派で蘭学重視の父に従い西洋学を学ぶ。 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、と並ぶ長州五傑の1人。 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にて鉱山技術・鉄道技術などを学ぶ。
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関西地域でも
木戸孝允「母国で技術を役立てるように」との要請で帰国。 長州藩から鉱山管理に任命。 大蔵省造幣頭兼民部省鉱山正となり、近代事業に携わる。 政府はイギリス人技師エドモンド・モレルを中心に敷設事業を展開、路線の敷設で新橋駅と横浜駅(現在の桜木町駅)間に着手。 1872年、全線開通、日本の鉄道開業に尽力。 1877年、神戸駅と大阪駅間、大阪駅と京都駅間も開通。 1896年、大阪で汽車製造合資会社を設立。
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当地は伝奏屋敷・評定所があった。 江戸幕府の最高意思決定機関を設置、老中や三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)などが参集、国内の懸案事項を審議、裁決する役割を担った。 伝奏屋敷は宿泊所とも。 1917年、当時の有力実業家らが「工業家が力を合わせて、わが国の工業を発展させる」を目的に法人を創立。 初代会長は豊川良平三菱合資会社頭取。 初代理事長は団琢磨三井合名会社理事長。 重要経済問題、労働問題などに関して調査活動及び政府への建議を行い、経済団体としての機能を果たした。
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竣工当時
1920年、地上5階として竣工。 設計は横河民輔。 ファサードは松井貴太郎。 インテリアは橘教順と鷲巣昌。 テーマは雅にして堅。 正面玄関はドーリア式オーダーのエントランス・ポーチ。 正面屋上は小倉右一郎作の二つの人像(戦前の日本経済の中心であった石炭(ハンマーをもった男性)と紡績(糸巻きを持つ女性))を表現。
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三菱UFJ信託銀行信託博物館
三菱UFJ信託銀行信託博物館が開館。 テーマは「大切な人のために財産を守り確実に引き継いでいきたい」。 信託銀行として歩んできた歴史などを中心に展示、公開。
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電話交換創始の地
当地は電話交換創始の地。 1890年に、わが国電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布。 東京と横浜で交換が開始、電話交換事務所が設置。
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2012年、旧東京中央郵便局に建設された超高層ビルとして開業。 低層階は旧東京中央郵便局舎(原設計は吉田鉄郎氏)の一部を保存して高層階の高さ約200mと構成。 外観は創建時のタイル・窓を復元。 旧東京中央郵便局の郵便局長室はメモリアルコーナーとして一般公開。 2013年、低層階には日本郵便による商業施設「KITTE(キッテ)」がオープン。 また、国際ビジネス・観光情報センター「東京シティアイ」や東京大学と産学連携プロジェクトを紹介する学術文化総合ミュージアム、国際会議対応のホールなども開業。
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KITTE(キッテ)
ちなみに「KITTE(キッテ)」とは日本郵便の「切手」に由来。 また、「来て」という意味も。 日本建設業連合会主催第56回BCS賞を受賞。 東京都環境局が開催した東京都環境建築フォーラム「東京の低炭素ビルTOP30」に選定。
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当地はかつて江戸城の外濠であった。 1629年、築造。 門に附属する鍛冶橋は現在の丸の内二、三丁目と中央区の八重洲六丁目を結んでいた。 名称は、外堀の門外の町名が南鍛冶町(現在の中央区八重洲二丁目・京橋二丁目)であったことに由来。 江戸時代、御用絵師の狩野探幽の屋敷があった。 門内には大名屋敷が立ち並び、幕末には、津山藩(岡山県)松平家、土佐藩(高知県)山内家が付近に上屋敷を設けていた。 1873年、鍛冶橋門は桝形石垣を残して撤去。 1876年、橋はアーチ橋として再建。 戦後、瓦礫処理で外堀が埋め立てられ、橋も姿を消した。
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東京府庁舎は当初、東京市幸橋門内(現在の内幸町一丁目)の旧大和郡山藩邸に開設。 1894年、丸の内(現在の有楽町駅付近)に移転。 1898年、東京市庁舎が完成。 1943年、東京市と東京府が廃止され、東京都が設置。 戦災により、建物は焼失。
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1894年、日本初のオフィスビルとして建設。 デザインはイギリス・クイーンアン様式の外観を持つ煉瓦造。 貸事務所となり、会社や銀行が入居していた。 1968年に「第1号館」解体後、2009年に三菱地所が「三菱第1号館」として復元。 1918年、東9号館と改称。 三菱東9号館、三菱旧1号館とも呼ばれた。 設計者は、ジョサイア・コンドル、曽禰達蔵。 現在、企業博物館「三菱一号館美術館」となっている。 1880年代~1890年代に制作された美術品・工芸品を収蔵、展示。
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2009年、開業。 コンセプトは、「丸の内コンフォート」。 ファッションや雑貨、日本各地の食の名店や日本初進出の海外のレストランなどが集積する商業施設。
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設計は、岡田信一郎・捷五郎(兄弟)。 構造設計は、内藤多仲。 「明治生命保険相互会社本社本館」として重要文化財に指定。 1928年、当時の三菱第2号館(コンドル設計)に隣接して、新社屋の建設が決定。 指名コンペ方式で、岡田信一郎の案を採用。 1930年、旧社屋も取り壊して、建設となった。 太平洋戦争後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収。 アメリカ極東空軍司令部として使用された。 対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われた。 1956年、アメリカ軍から返還された。
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実業家、慈善家として活躍した渋沢栄一。 別名、日本資本主義の父。 1840年、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市血洗島)生まれ。 渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営。 米、麦、野菜の生産も手がける豪農であったとか。 北辰一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に入門、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。 江戸時代、農民(名主身分)から武士(幕臣)に転身。 1866年、幕臣となりパリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する慶喜の異母弟、徳川昭武の随員として御勘定格陸軍付調役の肩書を得てフランスへと渡航、ヨーロッパ各国を訪問。 徳川慶喜は大政奉還、渋沢栄一は静岡で商法会所を設立。
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明治政府では
明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行った。 退官後、銀行、研究所、東京証券取引所、火災保険、ホテル、鉄道、麦酒など500以上の会社を設立・経営。 学業では二松學舍第3代舎長(二松学舎大学)、商法講習所(一橋大学)、大倉商業学校(東京経済大学)の設立にも尽力。
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社会活動では
社会活動では、養育院(東京都健康長寿医療センター)の院長、団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長などを務め、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わった。 伊藤博文、勝海舟らと共に女子教育奨励会を設立、日本女子大学校・東京女学館の設立に携わった。 対印貿易では大隈重信らとともに日印協会の設立に携わり、第3代会長を努めた。
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iiyoは商業施設。 永楽小径は休憩所。 敷地内にはベンチなどが設置されている。 かつて当地には備前岡山藩池田邸、越後長岡藩牧野邸、肥後宇土藩細川邸等の大名屋敷があった。 町名「永楽町」の由来は銭瓶橋を銭替橋といい、永楽銭の両替をした場所であったという説、永楽銭が発掘されたという説、1591年、伊勢に住む与市が風呂を作り、入湯料永楽銭1文で営業していたという説がある。 町の西は「辰之口」、東は「呉服橋御門内」と呼ばれた。 和田倉門橋と馬場先門橋の間にあった和田倉濠の河岸は「八重洲河岸」と呼ばれた。 1872年、起立、東京上等裁判所、陸軍兵学寮、紙幣寮等があった。
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伝奏屋敷は武家伝奏の宿舎として設置された屋敷のことで、勅使・院使など伝奏衆が宿泊した。 1636年、伝奏屋敷の隣には評定所の建物があり、江戸幕府の最高司法機関にあたる。 三奉行(勘定奉行、寺社奉行、町奉行)が裁定できないような重大事件を扱っていたとか。
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1890年、電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布され、東京と横浜に電話交換局が設置。 東京市内及び横浜と東京間で電話交換が開始された。 当初、横浜電話交換局は4名が電話交換に対応。 東京市の加入者は155人、横浜市の加入者は42人で、電話所(公衆電話)数16。 市内通話の料金は年間45円の定額制であったとか。
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秋元康がプロデュースする日本の女性アイドルグループ「AKB48」の専用ライブハウス。 コンセプトは、「会いに行けるアイドル」。 日替わりでチームごとに、ほぼ毎日公演。 また、正規メンバーと研究生を合わせて100人を超え、ギネス世界記録に認定。 2005年、デビュー公演が行われた。 劇場へ通じる通路の壁面には、メンバーの肖像写真が飾られている。 写真は、AKB48専用劇場ではなく、駅前にある「AKB48カフェ&ショップ」。 ここでは、AKB48に所属するメンバーのグッズなどが販売され、カフェも楽しむことができる。