せやせや!関西が好っきゃねん
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東京駅周辺を一周する日帰り旅

東京駅周辺を一周する日帰り旅

まいどまいど! 日本の中心地っちゅうたら、やっぱり、世界の東京でっしゃろか。 まわりの多くは、関東弁。 まちには関東弁であふれかえってまんねやけど、やっぱり、方言っちゅうもんが一番、よろしいでんな。 さて、駅構内にあるエスカレータも関西(大阪や兵庫など)とは違って、左側に立ち、時々は戸惑いながらも、珍しい別世界の日常がそこにはおました。 東京駅構内にはぎょうさんのお店が立ち並んでおまして、見どころもたくさん。 東京駅構内には様々な飲食店、雑貨店、お土産専門店があり、地下街にはラーメンストリートやキャラクターストリート、周辺の大丸百貨店や八重洲地下街へと接続。 1日ではすべてはまわることはできへんかもしれまへんけども、それだけのおもろさが詰まってまんねん。 ほんでまた、東京の歴史は、大阪を中心とする関西が動かしてきたっちゅうても、過言やおまへん。 でも、そんな東京にも楽しみがいっぱい。 頭の片隅に関西を思いつつ、東京観光を満喫しまひょ!

iiyo!! (イーヨ!!)
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iiyo!! (イーヨ!!)

iiyoは商業施設。 永楽小径は休憩所。 敷地内にはベンチなどが設置されている。 かつて当地には備前岡山藩池田邸、越後長岡藩牧野邸、肥後宇土藩細川邸等の大名屋敷があった。 町名「永楽町」の由来は銭瓶橋を銭替橋といい、永楽銭の両替をした場所であったという説、永楽銭が発掘されたという説、1591年、伊勢に住む与市が風呂を作り、入湯料永楽銭1文で営業していたという説がある。 町の西は「辰之口」、東は「呉服橋御門内」と呼ばれた。 和田倉門橋と馬場先門橋の間にあった和田倉濠の河岸は「八重洲河岸」と呼ばれた。 1872年、起立、東京上等裁判所、陸軍兵学寮、紙幣寮等があった。

伝奏屋敷跡
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伝奏屋敷跡

伝奏屋敷は武家伝奏の宿舎として設置された屋敷のことで、勅使・院使など伝奏衆が宿泊した。 1636年、伝奏屋敷の隣には評定所の建物があり、江戸幕府の最高司法機関にあたる。 三奉行(勘定奉行、寺社奉行、町奉行)が裁定できないような重大事件を扱っていたとか。

電話交換創始之地
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電話交換創始之地

1890年、電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布され、東京と横浜に電話交換局が設置。 東京市内及び横浜と東京間で電話交換が開始された。 当初、横浜電話交換局は4名が電話交換に対応。 東京市の加入者は155人、横浜市の加入者は42人で、電話所(公衆電話)数16。 市内通話の料金は年間45円の定額制であったとか。

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