東海道五十三次の川崎宿のかつてをぶらぶら
神奈川東海道五十三次の川崎宿のかつてをぶらぶら
まいどまいど! 江戸時代、宿場町「川崎宿」としての賑わいを見せた神奈川県川崎市川崎区。 ここは江戸時代に整備された五街道の一つ「東海道」で宿場を指す「東海道五十三次」の2番目の宿場として知られてまんねん。 東海道は東京・日本橋を起点に品川宿があり、遠くは京都・大坂までを結んでまんねん。 1623年に川崎宿が設置されるも問屋場などが窮状に陥り、1632年には宿役人が幕府へ廃止を訴えた。 伝馬の負担が引き上げられ、財政がさらに困窮。 問屋で名主、本陣の田中休愚は、幕府に働きかけを行い、川崎宿の再建に奮闘。 本陣は田中本陣・佐藤(惣左衛門)本陣・惣兵衛本陣があったが、アメリカ合衆国の外交官、初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使のタウンゼント・ハリス氏が宿泊の際、荒廃のため万年屋に変更する事態になったとか。 旅籠は72軒を数え、飯盛女(飯売女)を置く「飯売り旅籠」も集中。 当時はかなりの賑わいを見せていたことがうかがい知ることができまんな。 現在は繁華街となり、日本初の「3D飛沫可視化システム」による気流・飛沫シミュレーションを実施しているカワスイ 川崎水族館、商業施設や商店街が密集してまっせ。
京浜急行電鉄本線、大師線の停車駅の一つ。 1902年、川崎駅(2代目)として開業。 1925年、京浜川崎駅に改称。 1987年、京急川崎駅に改称。 2008年、本線のホームに接近メロディ「上を向いて歩こう」を導入。 川崎市は歌手・俳優・司会者などで活躍した坂本九の出身地。
レストランや映画館などを核店舗とするショッピングセンター。 2003年、地上11階、地下2階として開業。 キャッチコピーは「新しい明日へ、グッドアクセス。」。 施設内ではTOHOシネマズ川崎やレストラン街などがある。
1980年、都市型ショッピングセンターとして開業。 地上8階、地下2階。 モアーズ地下2階と川崎アゼリアとの間に、世界一短いエスカレータ(愛称・プチカレーター)が設置。 段差は約80cm。
ショッピングセンター。 地上10階、地下2階として開業。 1988年、西武百貨店と丸井、専門店で構成する商業施設として開業。 2004年にヨドバシカメラが出店。 2020年、リニューアル。 屋上にはフットサルコート「銀座deフットサル川崎ルフロンスタジアム」がオープン。
日本初の「3D飛沫可視化システム」による気流・飛沫シミュレーションを実施している水族館。 2020年、川崎市内では初めてとなる水族館開館として開館。 日本初の駅前商業施設内の水族館。 テーマは 「世界の美しい水辺」。 多摩川やアジア、アフリカ、アマゾンの熱帯雨林などの世界各地の環境に暮らす生き物を展示。
1986年、JR川崎駅東口駅前広場、東口バスターミナルの地下に地下街として開業。 日本国内の地下街では大阪府大阪市のクリスタ長堀、東京都中央区の八重洲地下街に次いで3番目の規模を有する。 2016年、グランドオープン。 名称「アゼリア」の由来は、西洋ツツジの英名でツツジが川崎市の市花であることから。
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東日本旅客鉄道(JR東日本)川崎駅構内にある商業施設。 地上5階、地下1階建。 1958年、駅ビルかわさきとして開業。 1988年、川崎BEに改称。 2012年、アトレ川崎に改称。 施設内にはラーメンフードコートの「ラーメンシンフォニー」も。
かわさききたテラス内にあり、川崎駅北口行政サービス施設となっている。 また施設内には観光案内所があり、川崎市内を中心とした観光案内や情報発信を行っている。 その他、川崎市のかわさき名産品に認定された商品やゆかりの商品などを展示・販売している。
1994年、竣工。 かつて周辺には老朽化した店舗兼住宅などが混在した。 外装はガラスカーテンウォール。 飲食店や川崎市立川崎図書館、川崎市立アートガーデン川崎などがある。
東日本旅客鉄道と京浜急行電鉄の川崎駅・京急川崎駅前にある商店街。 1935年、河川「古川」が埋め立てられ、失業者の再雇用を目的に商店街が作られた。 1945年、第二次世界大戦の空襲により、川崎市街地は焦土化。 戦後、柳が数本植えられた。 それを見た人々は、空襲の苦しみに耐えながらも生活をしている自身と、大雪にも負けない柳とを重ねた。 深く美しい光を意味する銀を合わせ、この商店街を「銀柳街」と名付けた。 1991年、アーケードが設置されていたが、ステンドグラスを採用、開閉式。
東日本旅客鉄道と京浜急行電鉄の川崎駅・京急川崎駅前にある商店街。 商店街には約30の店舗が立ち並ぶ。 ほぼ毎週末ストリートライブが行われ、県内外から多くのアーティストが出演している。 毎年10月、イベントが開催され、ストリートライブや各店舗でのワゴンセールも。 1935年、河川「古川」が埋め立てられ、失業者の再雇用を目的に商店街が作られた。 1945年、第二次世界大戦の空襲により、川崎市街地は焦土化。 川崎銀星座をはじめとする川崎映画街(銀映街)の活況によって、大いににぎわった。 1927年に小美屋百貨店(旧小美屋呉服店)、1955年に岡田屋の百貨店、1956年にさいか屋が開業。
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