
風評被害をブッ飛ばせ! 大分県“ななつ星”城下町めぐり
大分風評被害をブッ飛ばせ! 大分県“ななつ星”城下町めぐり
4月の熊本地震では大分県も大きく揺れました。 熊本県ほど甚大な被害は出ていないのですが。 別府や湯布院では風評被害で客が激減しました。 でも、もう余震も収まりつつありますし。 いろんな割引クーポンも配布されているので。 まさに…今が行き頃では⁉︎ そこで大分県内にある7つの城下町をピックアップしてみました。 すべての城下町をイッキに巡ってみるもよし。 一つの町に腰を据えて味わいを堪能するもよし。 気になる町を2、3カ所ハシゴするもよし。 別府や湯布院などの温泉を組み合わせてもよし。 旅のご参考にされてみて下さいやし。
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ここでは大分県へのアクセス方法について紹介します。
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大分空港
東京からだと飛行機ってことになりますかね。 JAL/ANAに加えてLCCのジェットスターも就航してるので、時期によってはお安く行けます。 別府のバーのマスターも「昔は関西からの観光客がほとんどでしたけど、最近は関東からのお客さんが多いですね」と語ってました。 ジェットスター効果でしょうかね。
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さんふらわあ
関西からだとフェリー「さんふらわあ」を利用するのも手。 大阪/別府間と神戸/大分間に就航しています。 特に大阪航路は別府の繁栄を築いた礎ともいうべき由緒ある路線でもあります。 個室も充実しているので一人旅でもプライバシーはバッチリ! 国内からブルートレインが消滅した今、ユッタリした旅ができるのはフェリーだけかも知れません。 現地ではレンタカーじゃなく自家用車で…という向きにも利用価値アリです。
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まずは大分県の北端、福岡県との県境にある海沿いの城下町、中津からスタートです。 駅前には福沢諭吉先生の銅像がドーンと立ち、その隣にはバカでかい1万円札の看板。 なんか「諭吉先生が授ける金儲けの極意」みたいになっちゃってますが、そんなことはありません。 でも「天は人の上に人を造らず」の御仁なので、封建時代の象徴みたいな中津城を破却するよう進言。 それに倣ったのか、中津の城下町で江戸時代の古い建物をあまり見かけないのが残念でした。 その他の詳しい情報はリンク↘︎からどうぞ。
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中津駅
高架駅で、1階に観光案内所や土産物を揃えた物産店があります。 中津観光に関する情報を収集するなら、まずはここから。
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中津城
2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台の一つとなりました。 そのドラマのせいか黒田家の城という印象が強い中津城。 ですが実質的には享保2(1717)年から明治維新まで中津を治めた奥平家の城です。 現在の天守閣は昭和39(1964)年に建設された模擬天守で、内部は奥平家に関する歴史資料館になってます。 でも、市内に溢れる「諭吉先生バンザイ!」の前に、奥平家は影が薄いです。
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福澤諭吉旧居・福沢記念館
というわけで、中津といえば福沢諭吉! ここは郷土の英雄を讃える施設です。 少年時代を過ごした旧居と、偉業の数々が誇示された記念館の二棟で構成されています。 なんなら、中津城より立派です。 旧居は少年時代の諭吉が約15年間過ごした家。 庭には諭吉が勉強部屋にしていたという土蔵が。 いかにも「福沢先生は中津を愛してました!」っぽく見えますが。 実はそうでもなかったと、慶大のサイトにありました。
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黒田官兵衛資料館
中津城天守閣前に広がる三斎池に隣接して立ってます。 大河ドラマを当て込んで建てられた施設で、中津で黒田家関係の施設はここだけ。 資料館機能と観光情報発信機能に加え、お土産屋さんと喫茶スペースが併設されています。 ちなみに「三斎」とは黒田家の後に移封してきた細川忠興の別名。 あの細川ガラシャ夫人の旦那さんです。
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村上医家史料館
中津には珍しく城下町の風情を湛えた諸町通り。 その中程にある小さな医学史料館です。 展示内容は江戸から明治へと日本の医学がたどった軌跡を見渡せるほど茫洋。 村上医家の初代宗伯は寛永17(1640)年、この地に医院を開業しました。 その建物を元に、同家に伝わる数千点もの資料を展示しています。 裏庭には幕末にシーボルト事件で追われる身となった高野長英を匿ったという蔵が立っています。
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大江医家資料館
中津駅北口から伸びる広い道路を北進し、細い水路を超えて左折したところにあります。 代々中津藩の御典医を務めた大江家の屋敷を史料館にしたもので、現在の建屋が出来たのは幕末の1860年。 明治時代に待合室や診察室を設ける改築が施されていますが、御典医屋敷の面影を残す貴重な建物です。 1985(昭和60)年に市文化財に指定され、半解体工事を経て平成16(2004)年にオープンしました。
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合元寺
別名「赤壁寺」。 壁一面が真っ赤という非常に珍しいお寺です。 天正17(1589)年、黒田官兵衛の入国に反対した前領主の宇都宮鎮房が中津城内で謀殺されました。 この寺を拠点に鎮房の従臣たちは黒田勢と奮戦しますが、片っ端から斬り伏せられて壁が血で赤く染まったそう。 以来、何度白く塗っても血が染み出してくるので、ついに赤く塗ったとのこと。 いずれにせよ、壁の色そのままに因縁めいた寺に違いありません。
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鱧(はも)
鱧料理といえば夏の京都の風物詩。 小骨が多い鱧に無数の包丁を皮一枚残して入れる「骨切り」という独特の技術は特に有名です。 こうした鱧料理、実は中津が発祥なのです。 市内には高級料亭から弁当屋まで、鱧料理を売りにする料理店が数多くあります。 細川忠興は慶長9(1604)年に腕利きの漁師たちを強制的に中津へ移住させました。 結果、他の地方では食されない鱧が中津では盛んに食べられるようになったそうです。
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中津からあげ
もうひとつの中津名物。 市内いたるところに専門店や持ち帰り店が軒を連ね、まさに中津の「ソウルフード」です。 醬油や塩をベースにショウガやニンニクなど十数種類の調味料を用いたタレに漬け込んで下味を付けているので、冷めても美味しいのが特徴です。
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次に訪れたのは国東[くにさき]半島の付け根に位置する城下町、杵築[きつき]。 武家屋敷や商家、石畳の坂道など昔ながらの姿を今に伝え、時代劇のロケが行われるほど江戸時代の風情を色濃く残しています。 ここの特徴は武家屋敷のある南北ふたつの高台が、谷あいの商人町を挟んだ「サンドイッチ型」であること。 こうした形状は全国の城下町でもここだけです。 その他の詳しい情報はリンク↘︎からどうぞ。
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杵築駅
中津駅から各駅停車で小一時間ほど、杵築駅に到着します。 構内に観光案内所があるので情報収集できますが、周囲に食事や買物がてきる店はほとんどありません。 駅は市街地から遠く離れているので、路線バスへの乗り換えが必要です。
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杵築ふるさと産業館
駅からバスに揺られて到着したのは杵築バスターミナル。 県道沿いにあり、御城にも武家屋敷にも歩いて行ける便利な位置にあります。 ただ、ターミナルには待合室しかないので、その他モロモロの要件は裏手の「杵築ふるさと産業館」で。 観光案内所をはじめ特産品売場、食堂、喫茶などがあります。
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杵築城
まずは杵築城の天守閣へ。 小高い山の上に立つ模擬天守は、日本最小の天守閣なんだとか。 ただ、杵築城は徳川幕府の一国一城令によって破却され、藩の政治機能は麓の御殿に移りました。 なので、この天守閣はあくまでもモニュメント的な存在、歴史的な意味合いは薄いのです。 内部は杵築を治めていた能見松平家に関する博物館。 杵築出身の政治家重光葵や、法政大学創設者の業績なども展示されています。
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酢屋の坂・塩屋の坂
北台と南台の両武家屋敷を結ぶ坂道で、向こう側が酢屋の坂、手前が塩屋の坂です。 写真右側にある味噌屋の祖先が坂の下で酢と塩を売る商売を営んでいたことから、この名前が付きました。 杵築は「日本一和装が似合う町」がキャッチフレーズ。 レンタル店で着物を借り、和服姿で坂道や武家屋敷を散策する観光客も大勢いました。
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磯矢邸
北台に軒を連ねる武家屋敷のひとつ。 勘定場の坂を上ってすぐのところにある武家屋敷です。 母屋に隣接する蔵屋敷が「栗原克実美術館」として公開され、寄贈された墨彩画が数多く展示されています。
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能見邸
磯谷邸の並びにある武家屋敷。 その名の通り藩主能見松平家の連枝が暮らす家でした。 平成22(2010)年4月1日に市の観光施設として一般公開され、無料で利用できます。 邸内には食事や甘味などを楽しめる和風喫茶コーナー「台の茶屋」があります。
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大原邸
能見家の隣に立つ、上級武士の武家屋敷です。 単なる個人宅ではなく、藩の重職が公務に使用する公邸。 なので、造りの重厚さが違います。 そのあたりの違いを味わうのも楽しみのひとつです。
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佐野家
北台の武家屋敷から少し離れた場所にある杵築の名門医家、佐野家。 代々御典医として杵築藩に仕え、医家として高名を馳せてきました。 現在では管理者が佐野家から杵築市に変わり、平成2(1990)年11月から一般公開されています。 ちなみに14代当主の佐野武氏は現在東京在住。 胃がん手術で世界トップクラスの技術を駆使するリアル“スーパードクター”です。
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中根邸
藩の重臣たちの屋敷が立ち並んでいました「家老丁」に残る家老屋敷。 「きつき城下町資料館」に隣接し、休憩所として無料で公開しています。 中根邸は余生を過ごすために作られた隠居宅なので、老人でも無理なく暮らせるように設計されているのが特徴。 庭園も他の武家屋敷と異なり、どこか優しさが感じられます。
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一松(ひとつまつ)邸
海を望む丘の上に立つ堂々たる和風建築。 杵築市の初代名誉市民となった故・一松定吉氏の邸宅「一松邸」です。 昭和2(1927)年から2年もの歳月をかけて建てられ、同4(1929)年に落成。 高級木材を贅沢に使い、建築費用は今の金額に換算すると5億円相当とか。 贅を尽くした建築の粋をジックリと味わいたいものです。
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きつき城下町資料館
杵築の城下町全体を歴史公園に見立て、その中核的機能を担う施設です。 杵築の歴史年表や城下町復元ジオラマ、町役所日記や町人の文化に関する資料、杵築歌舞伎、漁業の歴史と漁具、畳の材料となる七島藺(しっとうい)の歴史と生産用具などが展示されています。 1階のロビーには圧倒的な存在感の巨大な御所車が展示されています。
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長昌寺
杵築の西端、寺町にある長昌寺は能見松平家奥方の菩提寺。 見所は市指定名勝の庭園です。 江戸時代初期の作庭で九州における枯山水庭園の白眉と評され、水前寺成趣園と並び称される名園。 ツツジの刈込に巨石を組み合わせた築山の前面に砂を敷き、池泉を表しているそうです。
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杵築ど〜んと丼
地元の食材を用いたユニークな丼。 市内の飲食店18店舗で供されています。 5つのルールを守れば「ど〜んと丼」を名乗れるので、各店舗が独自の趣向を凝らしたユニークなメニューを展開。 全18種類あるので全品制覇してみては…って無理か(笑
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杵築サンド
日本唯一の「サンドイッチ型城下町」にちなんだご当地メニュー。 市内の飲食店7店舗で供されています。 「ど〜んと丼」同様、5つのルールを守ることで「杵築サンド」を名乗れます。 地元の食材を用い、必ずパンや米などで具材を挟むことが条件。 ハモを酢飯で挟んだ「ハモハモサンド」や、チキン南蛮をトルティーヤで巻いた「チキン南蛮ラップサンド」などユニークなメニューも。
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杵築から電車でわずか10分余、暘谷駅に到着です。 日出[ひじ]は2万5千石という小さな城下町。 ですが日本で2つしかない城下町の一つです。 徳川幕府は豊臣家が存在した痕跡を歴史から葬り去ろうとしました。 ところが秀吉の旧名“木下藤吉郎”の木下姓を名乗ることを許された大名が2家だけ存在したのです。 ひとつは備前国(岡山県)の足守藩。 そしてもうひとつがここ日出藩です。 藩祖の木下延俊[のぶとし]は秀吉の正室・北政所(大河ドラマ「真田丸」では鈴木京香が演じてます)の兄、木下家定の息子。 秀吉からみると義理の甥にあたります。 ちなみに関ヶ原の戦いでの“裏切り”でおなじみ小早川秀秋は延俊の実弟です。
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暘谷駅
かつての暘谷駅は線路にへばりついているような小さな駅でしたが、今年の5月15日に新駅舎が落成! 駅近辺は再開発され、ショッピングセンターや家電量販店、ビジネスホテルなどが立ち並んでいます。 電車でもクルマでも、どちらでも快適にアクセスできますよ。
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二の丸館
日出城址…現在の日出小学校前にある観光交流拠点。 館内には観光案内所をはじめ展示スペース、地域特産品の販売コーナー、軽食喫茶「やすらぎ」などがあります。 「やすらぎ」の一番人気メニューは「親子丼」とのこと。 また、無料駐車場もあるのでクルマでの観光にも便利です。
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暘谷城
木下延俊は関ヶ原の戦いの軍功で日出3万石に封じられました。 慶長6(1601)年の入国後すぐ築城に取りかかり、翌7年には完成、入城します。 設計は義兄の細川忠興(延俊の正室・加賀の兄)。 明治維新で城の建物は処分され、天守閣跡、城壁、堀跡などが現存しています。 城址には日出小学校が立っているので、見学の際は不審者に間違われないように注意しましょう。
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城下公園
日出小学校と海岸の間は「城下公園」として整備されています。 日出名物「城下[しろした]かれい」の名称の由来ともなりました。 桜越しに望む別府湾の眺望は大分県百景にも選ばれている絶景。 ここには高浜虚子の句碑とか、人柱の祠(怖ッ!)とか、軍艦海鷹の碑とか、いろんな記念碑が立ってます。
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鬼門櫓
日出城の構造物は全て処分されたのですが、辛うじて現存している建物がこの「鬼門櫓」です。 本丸の北東側にあり、北東部「鬼門」の方角の隅を欠いているのが特徴。 北東側の隅を無くしてしまえば、鬼門の方角から災禍が侵入するのを防げると考えられていたからです。 取り壊しを免れて他に移築されていたのですが、平成21(2009)年に日出町へ譲渡。 解体調査を経て復元され、現在無料で一般公開されています。
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日出歴史資料館
鬼門櫓の向かいにある資料館。 日出藩主の木下氏が豊臣秀吉から拝領した「豊臣印章」など、日出町の歴史資料が多数展示されてます。 入館無料です。
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致道館
大分県に残存する唯一の藩校です。 安政5(1858)年に15代藩主木下俊程の命で開校しました。 木造2階建てで建物全体が往時の姿を今に留めています。 藩校は明治4(1871)年の廃藩まで続き、その後は女学校になったり町役場になったりしていたのですが。 昭和26(1951)年に現在地へ移築され、県の史跡として保存されることに。 現在、無料で公開されています。
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的山荘
明治時代、金の採掘で巨万の富を築いた成清博愛の旧邸宅。 金山王の家だけに懸けた費用は半端なく総工費は25万円…現在の価値だと7~8億円とか。 3670坪の敷地に立つ約300坪の邸宅は3代目信輔の時に城下かれい料理を提供する料亭に変身。 平成26(2014)年には国の重要文化財に指定されました。 現在も料亭でランチ3000円、喫茶タイムなら700円とリーズナブル。 庭園を鑑賞するだけなら無料です。
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滝家墓所
瀧廉太郎といえば「荒城の月」などを作曲した日本を代表する音楽家。 その祖先である瀧家は代々、日出藩の要職を務める一家でした。 日出藩士が数多く眠る龍泉寺に瀧家の墓があります。 廉太郎の墓は大分市の万寿寺にありましたが、遺族の意向でここに移設したものです。
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松屋寺
まさに日出の核心ともいうべき場所。 日出藩木下家の菩提寺で、ここに代々の藩主が眠っています。 また、木下延俊の祖母、つまり北政所の母である朝日の方の墓もここにあります。 山門には豊臣家の紋所である「五七桐」が掲げられ、まるで豊臣家の「実家」であるかのよう。 本堂の前庭にそびえる、日本一と名高い大蘇鉄も見どころ。 また、本堂の奥には水墨画の大家である雪舟が造園したと伝わる庭園もあります。
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城下かれい
日出の特産品といえば、なんといっても「城下かれい」。 江戸時代には庶民が食べることすらできなかった「殿様魚」です。 城下公園前の海には海底から真水が湧き出す場所があり、そこで獲れるマコガレイを特に「城下かれい」と呼びます。 なかなか高嶺の花の城下かれい料理ですが、ランチであれば先述の的山荘を含む町内の料理店で手頃な価格で味わえます。 それでも4000〜5000円ぐらいするのですが。
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暘谷駅から電車を乗り継いで1時間とチョイで臼杵に到着。 臼杵といえば国宝の石仏(磨崖仏)でお馴染みですが。 今回は磨崖仏を敢えて外し、城下町を中心に散策しました。 臼杵城はキリシタン大名として名を馳せた大友宗麟が築城。 徳川幕藩時代は郡上八幡から稲葉家が臼杵藩5万石に入封。 江戸時代初期の古絵図にある町割りが現在もそのまま街並みに。 しかも商家や武家屋敷、神社仏閣など往時の建物が数多く残ってます。 そんな街の中を歩いていると、まるで時代劇のセットに迷い込んだ気がします。
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臼杵駅
駅は市街地から少し離れてますが、歩いてアクセスできる程度の距離。 構内には観光案内所もありますが、小さいので利用しませんでした。
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臼杵市観光交流プラザ
臼杵城址の真ん前にある観光施設。 まだ出来て間もないのでピッカピカです。 コンセプトは「臼杵を訪れる観光客が最初に立ち寄る場、市民も集い交流できる中心市街地のにぎわいの場」。 観光や地場産業の情報が「これでもか!」っていうほど充実してますよ。
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臼杵城
戦国時代に九州随一の勢力を誇ったキリシタン大名、大友宗麟が「丹生島」という孤島に築いた城郭でした。 現在では陸続きになり、平地に浮かんだ丘になってます。 大友氏は宗麟の嫡男義統の代で滅亡。 慶長5(1600)年に入封した稲葉氏が15代にわたり、廃藩置県まで続きました。 明治6(1873)年に明治政府は臼杵城の廃城を決定、臼杵公園となりました。 公園内には現在2つの櫓や堀、石垣などが残っています。
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稲葉家下屋敷
廃藩置県で東京に移住した旧藩主が、臼杵での滞在時に利用するため建てられた別邸。 建築は明治35(1902)年ですが、武家屋敷の様式を色濃く残した屋敷です。 内部は杉や檜がふんだんに使われ、お殿様のお屋敷ならではの格式高い作り。 邸内は武具や駕籠など稲葉家5万石の栄華を伝える品々が展示されています。 広々とした日本庭園を散策していると、まるで殿様になった気分に浸れますよ。
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二王座歴史の道
臼杵には「二王座」という、城下町の風情を色濃く遺した通りがあります。 狭い路地の隅々にまで石畳が敷かれ、重厚な門構えの武家屋敷跡、白壁の土蔵、大きな神社仏閣などが軒を連ねています。 歩いているだけで徳田新之助(?)にでもなった心持ちに。 ちなみに「二王座」とは、昔ここに鎮座していた「祇園社(現在の八坂神社)」の門が仁王門だったことから、仁王座→二王座と呼ばれるようになったそうな。
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旧真光寺
真光寺といっても頭に“旧”が付いているので、お寺ではありません。 廃寺を改修し、無料で開放されている休憩所です。 2階に上がると眼下に二王座の街並みが望めます。 風情のある景色を眺めていると心が落ち着きますよ。
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野上弥生子文学記念館
「秀吉と利休」など数々の名作を世に送り出してきた女流文学者、野上弥生子。 明治18(1885)年、臼杵の酒蔵の娘として生まれました。 14歳で上京し、夏目漱石の弟子となり小説家に。 99歳で逝去するまで現役作家として活躍しました。 彼女の業績を顕彰するため生家の一部を改修し、記念館にしたものです。 館内には遺品約200点を展示しているほか、少女時代の勉強部屋なども見学できます。
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吉丸一昌記念館
春になっても全然暖かくならない時、つい口を突いて出る「春は名のみの〜風の寒さよ〜」 「早春賦」という唱歌の歌詞です。 その作詞者で著名な国文学者だった吉丸一昌の業績を讃えた記念館。 元は奥さんの実家だった建物に、遺品や楽譜などが展示されてます。 吉丸は43歳という若さで亡くなるまで、数多くの作品を遺しました。 「ももたろさんももたろさん」や「でんでんむしむしかたつむり」も彼の作品…らしいです。
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臼杵市歴史資料館
臼杵市が所蔵する約35000点もの歴史資料を展示しています。 県有形文化財に指定されている1500点以上もの古地図は全国的にも貴重な資料。 藩主稲葉家に伝わってきた「竹取物語」「南総里見八犬伝」などの古書籍。 江戸時代、人々の暮らしぶりを記録した「古史捷[こししょう]」など。 城下町臼杵を歴史資料で学べる施設です。
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久家の大蔵
造り酒屋の久家本店が貯蔵庫に使っていた蔵で、江戸時代末期の1868年に建てられました。 現在は改装され、ギャラリーになってます。 外壁や内部がポルトガル独特の壁画「アズレージョ」で装飾されています。 天使や聖職者など、大友宗麟時代のキリシタン文化が描かれています。
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サーラ・デ・うすき
大友宗麟時代、臼杵に実在したという「ノビシャド(修練院)」を模した多目的交流施設。 ちなみにサーラとは居間とかサロンという意味だそうです。 ここでは観光情報の発信や、南蛮文化との交流に関する資料を展示。 館内の交流ホールやギャラリーでは様々なイベントが開催されてます。 城下町散策の折には是非、立ち寄りたいところです。
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河豚
臼杵名物といえばフグ! 豊後水道で獲れるトラフグは日本でも指折りを美味さを誇るそう。 臼杵には味噌・醬油や地酒など老舗の醸造会社が幾つかあり、フグ以外にも水揚げされる海産物との相性もバッチリです。
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うすきカマガリバーガー
臼杵市が特産品の白身魚「カマガリ」をアピールするため、大分県、漁協、観光業者と共同で開発したハンバーガーです。 カマガリは今や臼杵市でしか捕獲されなくなった「幻の魚」。 その半身フライをカボスの酸味を効かせたキャベツに載せてパンに挟み、地元の醸造会社が開発した特製ソースで味付けしたものです。 観光交流プラザ近くのパン屋「ミルキースター」で販売してますよ。
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臼杵駅から日豊本線に揺られること30分余。 毛利氏の城下町、佐伯[さいき]に到着です。 初代藩主高政[たかまさ]は豊臣秀吉に仕えた戦国大名。 関ヶ原の戦いで東軍に付き、佐伯2万石に入封します。 以後12代高謙[たかあき]まで続き、明治維新を迎えました。 時代は下り昭和に入ると海軍基地が設営され“軍都”としても発展。 昭和16(1941)年の真珠湾攻撃では佐伯からも連合艦隊機動部隊の一部が発進。 そのため戦局が悪化すると佐伯も空襲を受け、人的物的に被害が出たそうです。 城下町は基地から離れており、あまり戦災の痕跡が見当たらないのは幸いでした。
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佐伯駅
佐伯駅は御城下から少し遠いので、路線バスを利用しました。 歩いて行けない距離でもなさそうですが、そのほうが無難。 駅の隣には大き目の観光案内所があります。 特に海軍関係の観光施設は城下町ではなく駅近辺にあるので、こちらで情報を収集すると便利です。
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城下町観光交流館
城山の麓にある日本の道百選のひとつ「歴史と文学のみち」。 その一角にある観光案内所兼無料休憩所です。 昭和11(1936)年建造という「つたや旅館」の建物をリノベーション。 平成27(2015)年5月30日にオープンしたばかりの古くて新しい施設です。 館内には洋室の「ギャラリー」や和室の「情報発信コーナー」などがあります。 無料の案内所兼休憩所にしては贅沢なひとときが過ごせますよ。
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三の丸櫓門
佐伯城登場口にそびえ立つ堂々たる門。 櫓門[やぐらもん]は佐伯城で現存する唯一の遺構です。 江戸時代の城郭建築を今に伝える歴史的建造物。 県有形文化財にも指定されている、佐伯のシンボル的存在です。 寛永14(1637)年に佐伯城の正門として創建されました。
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城山
三の丸櫓門をくぐると、その先には登城道。 本丸は標高144mの「城山」の頂上にあります。 天守閣は築城後ほどなく火災により焼失。 その後、毛利家3代目高尚は藩政の中心を山頂の本丸から麓の三の丸に移しました。 現在では山頂に建屋はなく石垣が残るのみ。 山頂へは「独歩碑/登城/翠明/若宮」と4つの登山道があります。 お年寄りがジョギングしていたり、城跡というよりアスレチックコース化しています。
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佐伯城
藩祖毛利高政は慶長6(1601)年に佐伯へ入封。 翌年から築城を開始し、慶長11(1606)年に落成しました。 その後は焼失や改修、移転を繰り返し、現在では石垣だけが名残を伝えています。 総石垣の山城として築かれた佐伯城、山頂本丸の石垣は隅角部分を丸く積み上げる独特の手法で造られました。 登城は結構な労力を要しますが、天守跡からの眺めは素晴らしいの一言です。
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山際通り
三の丸櫓門前の大手門跡から毛利家菩提寺の養賢寺に至る約700mの道。 江戸時代ここには上級武士の住む屋敷が立ち並んでいました。 今でも石畳や白壁が続き、武家屋敷が軒を連ね、城下町の風情を残しています。 昭和61(1986)年には建設省(現国土交通省)が”歴史と文学のみち”として「日本の道100選」に選定。 これを受けて佐伯市も「歴史的環境保存条例」を制定し「歴史的環境保存区」に指定、整備しました。
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佐伯市歴史資料館
平成27(2015)年5月「歴史と文学のみち」の起点に開館したばかりの施設です。 「城と城下町のフィールドミュージアム」がコンセプト。 江戸時代を中心に中世(平安時代末期〜戦国時代)から近代初頭(西南戦争)までの歴史を展示しています。 この場所は江戸時代に佐伯藩の役所、明治時代に旧藩主毛利家の屋敷があったところ。 入り口には文化2(1805)年に建てられた藩役所の門「三府御門」が立っています。
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毛利家御居間
歴史資料館の敷地内には旧藩主毛利家屋敷の一部である「毛利家御居間」が公開されています。 「御居間」は旧藩主の毛利家が明治期に暮らした屋敷の一部。 明治23(1890)年ごろ建てられたものと推定されるそうです。
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国木田独歩館
明治の文豪、国木田独歩[くにきだどっぽ]は明治26(1893)年10月から翌27年6月末まで、弟の収二と坂本永年の屋敷に下宿していました。 佐伯と独歩の関わりを紹介するため坂本邸を修復、資料館にしたものです。 主屋と土蔵の2棟に分かれており、主屋1階は明治時代の佐伯を紹介するコーナー、2階は兄弟の下宿部屋です。 土蔵1階は独歩の生い立ちや文学的特徴を解説、2階には電子ブックが用意されています。
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養賢寺
藩主毛利家の菩提寺です。 本堂の裏には歴代藩主の墓地があります。 なお、ここは禅寺なので拝観は受け付けていません。 また、墓地も柵で囲われ間近で見ることはできません。
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イチローロード
イチローといってもスズキじゃなくトミナガのほう…。 ナンノコッチャ? って人も多いでしょうけど。 佐伯と縁の深い漫画家、富永一朗さんの業績を讃えて命名された道路です。 富永画伯、漫画家になる前は佐伯で小学校の先生をしていたそうですよ。 道路際には「チンコロ姐ちゃん」をはじめイチローキャラのレリーフが延々と並んでます。 かつてのテレビ番組「お笑いマンガ道場」好きには懐かしいのでは⁉︎
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ごまだしうどん
農林水産省「農山漁村の郷土料理百選」にも選ばれた、佐伯のB級ご当地グルメです。 「ごまだし」とは白身魚エソの身を焼いて擦り潰し、擦りゴマと醬油を混ぜた調味料のこと。 茹でたうどんに乗せ、上からお湯をかければ「ごまだしうどん」の出来上がり。 市内の飲食店で手軽に食べられるほか、「ごまだし」の瓶詰めも食料品店などで売られています。
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大分県の県庁所在地、大分市。 明治維新までは「府内[ふない]」と呼ばれてました。 なのでお城は大分城ではなく府内城といいます。 府内というのは、ここに「国府」があったことに由来します。 国府というのは律令制が敷かれた7世紀後半、諸国に置かれた地方政府のこと。 そんな昔から大分市は大分県(豊後国)の中心都市だったわけですね。
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大分駅
平成24(2012)年に新築なったばかりのピッカピカの新駅舎。 商業施設「アミュプラザおおいた」としてショッピングモールや映画館、レストランなどを内包。 隣の駅ビルにはスパやホテルが入っているので、なんか、駅近辺だけで全ての所用が済んじゃいそう。 駅1階には観光案内所があるので、ここで観光情報をゲット!
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府内城
慶長4(1599)年、石田三成の妹婿福原直高が本丸、二の丸、三の丸まで築城しますが未完成のうちに関ヶ原の戦いで負け、徳川家康に没収されます。 同6(1601)年、新城主となった竹中重利は府内城の修増築と城下町の建設を開始。 同13(1608)年ごろに城下町の整備が完了し、現在の大分市の原型ができました。 現在では城址公園となり、堀や石垣、櫓などが良好に整備されています。
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府内城を復元する会
大分市は城下町としての風情が非常に乏しいのが実情です。 府内城近辺こそ堀と櫓を整備してそれらしい景観になっておりますが。 武家屋敷など城下町時代の遺構はほとんど見かけません。 太平洋戦争での大空襲で昔の建物がほとんど焼滅したからでしょう。 そんな中、商店街で「府内城を復元する会」のブースを見かけました。 府内城は豊後の顔。 復元されれば大分市の印象もガラリと変わることでしょう。
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遊歩公園
府内城から大分県庁の横を通って南へ一直線に伸びる、中央分離帯形式の公園です。 園内には多数の銅像が立っていて、見ていて飽きません。 日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエル像や、天正遣欧少年使節の伊東ドン・マンショ像をはじめ、中世の西洋文化を記念した像が多いです。 また、大分県が生んだ彫塑家・朝倉文夫の3作品(みどりのかげ/瀧廉太郎君像/姉妹)も見応えアリです。
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大分銀行赤レンガ館
大分市に残る唯一の明治時代の洋風建築です。 県最初の銀行として明治10年に創業した第二十三銀行の本店として明治43年9月着工、大正2年4月に完成。 設計者は東京駅や旧日本銀行本店などで有名な辰野金吾博士。 クラシックとゴシックの中間的なクイーンアン様式をもとに,ドームを載せる構成が特徴的です。 現在でも大分銀行の支店として稼働しています。
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ジョイフル
言わずと知れた大分県発祥のファミリーレストラン。 大分でファミレスといえばデニーズでもガストでもなく、ジョイフルでキマリです! 最近では東日本へも進出し、ボチボチ見かけるようになりました。 東京23区では港区赤坂に1軒だけある模様です。
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CITY SPA てんくう
JR大分駅前にあるJRおおいたシティの19〜21階にある天然温泉スパ施設です。 最上階には露天風呂、20階には内湯やサウナ。 高層ビルの最上階から大分市街の眺望を楽しみながら浸かる露天風呂…さすがおんせん県の県庁所在地だけあります。 カフェバーもあるので風呂上がりの一杯もOK。 ヒーリングスパ、ボディケア施設もあるので、美を追い求める女性の方もゼヒ!
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関さば・関あじ
大分市のご当地グルメといえば「関さば・関あじ」。 大分市佐賀関沖の豊後水道で大分県漁協佐賀関支店所属の漁師が一本釣りした真サバや真アジを特にこう呼びます。 サバやアジは大衆魚ですが、これらは別格。 瀬戸内海と太平洋の潮流がぶつかり合う水域で育った魚は身が締まってプリプリ。 それらを丁寧に一本釣りし、「活〆」という特殊処理を施します。 “生き腐れ”といわれるサバでも刺身で食べられるのが特徴です。
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言わずと知れた巨大温泉観光都市、別府。 城下町ではありませんが、〆に紹介します。 現在でも1日当たりの湧出湯量は日本最大。 市内の源泉数は日本の総源泉数の1割を占めるそう。 おまけに日本に存在する泉質のうちラジウム泉以外すべて揃っている…。 つまり別府の温泉すべてに入浴すれば、日本に存在する泉質のほとんどを体験できるのです。 先の熊本大分地震では別府も震度5強の激しい揺れに襲われました。 が!市内はそれほど被害を受けておらず、町の表情は何一つ変わってません。 懐かしい…けど新しい、別府の街に足を運んでみませんか? その他の詳しい情報はリンク↘︎からどうぞ。
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別府駅
かつての港から鉄道駅へと、別府の顔は移り変わりました。 そして今では空港からレンタカーへ。 駅も影が薄くなりつつあります。 中央コンコースには改札口のほか観光案内所があり、ここで温泉情報をゲット! また空港バスのチケットも案内所で販売しています。 駅舎の南北には商店街「えきマチ一丁目」が。 北側の「B-Passage」は観光客向け、南側の「BIS南館」は地元客向けの店舗で構成されてます。
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ソルパセオ銀座
別府銀座商店街、通称「ソルパセオ銀座」。 駅前通りと流川通りを結ぶ、やよい天狗通りと並行に走るアーケード通りです。 昔からある老舗と新しい店が混在する、メリハリの効いた商店街ですよ。 軒を連ねる店の半分弱が飲食店。 昼は老舗の商店、夜は居酒屋やバーと棲み分けてる感じです。 ただ、商店は経営者の高齢化や後継者不足で継続が難しそう。 昼のほうが閑散としている印象です。
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やよい天狗通り
駅前通りと流川通りを結ぶアーケード商店街。 駅から歩いて5分という立地の良さゆえ、かつて別府で最も栄えた商店街だそう。 商店街を進んでいくとアーケードが尽きるあたりに巨大な天狗が据えられてます。 それにしても、なぜ天狗? 天狗には火除けの神通力があるとされることから、昭和48(1973)年に火災予防の神様として巨大な天狗みこしを建立。 毎年4月の「別府温泉まつり」には文字通り担ぎ出されるそうです。
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楠銀天街
ソルパセオ銀座を抜け、向かい側に続くアーケード商店街。 といっても、ほとんどの店がシャッターを降ろし、営業している店は数えるほど。 既に役目を終えている感が強い商店街です。 別府楠港の直近に位置する楠銀天街は大正〜昭和期、別府最大の繁華街として我が世の春を謳歌していました。 が!別府港が移転し自動車社会が到来すると一気に凋落。 繁盛していた時代の雰囲気が真空パックされたかのように現存しています。
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竹瓦小路
竹瓦温泉の門前から伸びる一本の細くて古びた木造アーケード。 誕生したのは大正10(1921)年で日本最古。 今の竹瓦小路は飲食店が散在するだけで閑散としてますが、往時は大いに賑わったそう。 しかし別府楠港の移転を契機に次第に寂れていきました。 一時は荒廃が進み撤去の話も出るほどに。 転機が訪れたのは竹瓦温泉の国登録有形文化財指定。 これを機に保存・再生のための運動が進められているそうです。
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竹瓦温泉
別府のシンボル的存在です。 誕生したのは明治12(1879)年。 最初の建屋は屋根が竹葺きで後に瓦葺きになったので「竹瓦温泉」と呼ばれるように。 現在の建屋は昭和13(1938)年の建設。 正面に唐破風造の豪華な屋根を備えているのが特徴です。 平成16(2004)年、国の有形文化財に登録されました。 名物は砂湯。 浴衣を着て砂の上に横たわれば、砂掛けさんが温泉で暖めた砂を上からかけてくれます。
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駅前高等温泉
別府駅東口から駅前通りを進むと右側に姿を表す英国風の一軒家。 大正13(1924)年に建てられた外湯(公衆温泉)で、一人200円で入浴できます。 この大正浪漫の香りを漂わせたレトロな建築様式は、柱や斜材を外部に現わした英国流「ハーフチェンバー」と呼ばれる型式だそうです。 宿泊用の客室も備えているので宿泊も可能ですよ。
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別府タワー
東京に東京タワー、大阪に通天閣、名古屋と札幌にテレビ塔があるように、別府には別府タワーがあります! 博多ポートタワーを含めた6つのタワー、すべて設計者は“塔博士”として名を馳せた建築士、内藤多仲。 なので「タワー6兄弟」と呼ばれてます。 完成は昭和32(1957)年5月10日。 平成19(2007)年には国の登録有形文化財に指定され、別府の宝物となりました。
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二十八万石総本店
ソルパセオ銀座の中程に輝く煌びやかなネオン。 そこが“海鮮ファミレス”二十八萬石総本店です。 ファミレスを標榜していますが、中身は紛れもない居酒屋。 カウンターありテーブル席ありで一人からグループまで気軽に利用できます。 刺身や焼き魚、大分の郷土料理「りうきう」などはもちろん。 大分名物「鳥天」「鳥ももからあげ」など鳥料理も充実。 別府で大分料理を食べるなら、ここを選べば間違いナシ!
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