箱根駅伝スタートライン
東京箱根駅伝スタートライン
まいどまいど! 毎年冬の風物詩の一つっちゅうたら、箱根駅伝やおまへんでっしゃろか。 まあせやけど箱根駅伝っちゅう名前やから箱根だけのもんやろか?と思うかもしれまへんが、実はちゃいまんねん。 箱根がある神奈川県のお隣に位置する東京都千代田区大手町が箱根駅伝のスタート地点となっておまして、当地には箱根駅伝のスタートラインやブロンズ像、毎年の優勝校の名が刻まれた碑が建立されておます。 そもそも関東学連加盟校のうち、前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校、関東学生連合チームを加えた21チームだけが出場できる駅伝やさかい、関東以外の地域にとってはなんのなじみもおへんのですけど、やっぱりお正月にテレビやラジオなどで取り上げられていると冬の風物詩とも思いまんな。 そんな箱根駅伝のスタートライン周辺でも、おもろいとこがぎょうさんおます。 今回のお出かけプランでは箱根駅伝だけやない、大手町の観光もご紹介していきまひょ。 ほな、まいどおおきに!
東京箱根間往復大学駅伝競走は、1920年より毎年1月2日と翌3日の2日間、開催。 関東学生陸上競技連盟主催、関東地方の大学駅伝の競技会(地方大会)。 通称、箱根駅伝。 出場校は20校、出場校以外の競技者による関東学生連合チーム(オープン参加)が参加。 コースのスタートラインは国道1号線沿いに位置する読売新聞東京本社ビル前。 当地から鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖までを往復。 東京から箱根への往路107.5km、箱根から東京への復路109.6km、計217.1 km。 当初、アメリカ大陸の継走での横断を実施する予選会という位置付けであった。
五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること
1912年、ストックホルムオリンピックに出場した日本人五輪選手第1号の金栗四三が「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること」と発案したことがきっかけ。
2013年、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は90回目を迎えたことを記念してブロンズ像が設置。 ブロンズ像は彫刻家の松田光司氏の制作により、駅伝のゴール地点脇に建立され、ランナーが歓喜の表情で、ゴールテープを切った瞬間を表現。 台座には、書家の新井光風氏による揮毫の文字「絆」が刻まれ、付近には歴代優勝校の銘板も設置。
2011年、みずほ銀行大手町本部ビル(旧富士銀行本店)大手町フィナンシャルセンターが解体。 2014年、地下の商業施設「オーテモリ(OOTEMORI)」が開業。 2016年、大手町タワーと大手町の森が第57回BCS賞を受賞。 ヒートアイランド現象の緩和を目的とした緑地。 千葉県君津市で育成された森が土壌ごと移植、コナラやケヤキなどの広葉樹、草本類が植えて生物多様性も。 2001年に発生したアメリカ同時多発テロ事件で犠牲となった慰霊碑が建立。 東京芸術大学美術学部教授を務めた山本正道により制作されたブロンズ像、ニューヨーク市消防本部から寄贈された世界貿易センタービルの鉄骨の一部が安置。
1909年、千代田区富士見1丁目に移転。 日本歯科医学専門学校を経て、日本歯科大学に昇格。 日本歯科大学は、私学で、「自主独立」という建学の精神を継承しながら、生命歯学部と新潟生命歯学部の2学部、大学院、付属病院、短期大学、博物館を有する世界最大の歯科大学となった。
ウエストタワー・イーストタワーから構成されたツインタワー。 1992年、千代田電電ビルディング跡地にウエストタワーが開業。 1997年、三菱マテリアル本社ビル、東京海上保険ビルディング別館の跡地にイーストタワーが開業。 1999年、北米照明学会国際照明デザイン賞受賞。
1590年、徳川家康の命によって江戸城へ物資を運ぶ船入り堀として、江戸城の和田倉門橋から平川(日本橋川)の河口の呉服橋門までを結ぶ道三堀として開削され、江戸湊まで続く運河となった。 江戸で初めて人工の水路として造られた堀。 南岸には幕府の侍医、曲直瀬家(2代目道三)の屋敷があったことから、道三堀と呼ばれた。 1909年、埋め立てられ、姿を消した。 かつて、道三橋、銭瓶橋などが架けられた。
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