ちょっとDeep台湾 中部台湾の歴史と文化の街・霧峰を知る旅
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「霧峰」は台中市の最南端にある街。 台中市の中心部より車でわずか30分で、台中の市内とは全く異なる雰囲気の街「霧峰」に到着します。 「霧峰」は、漢人が移民してくる以前は、高山泰雅族や平埔族の原住民がここで生活していて「阿罩霧(Ataabu)」と呼ばれていました。 清の時代になると大陸から移民してきた漢人による開拓が始まり、農業なども盛んとなります。 その中で、1746年に中国の福建漳州から台湾に渡ってきた「林家」は、「霧峰」で開拓と商いをはじめ、後に清朝より「樟脳」の専売権を与えられ、清朝、日本統治年間において台湾で大変影響力のある一族「台湾五大家族」の一つとなります。 戦後、国民政府になってからは、当時の台湾の最高機関である「台湾省議会(1998年廃止)」が「霧峰」に置かれ、政治においても大変重要な所でした。 今回はそんな「霧峰」の豪族「霧峰林家」の建築を巡る台中から出発の日帰り旅と、文化と芸術スポットを加える2日目追加プランのご紹介です。 お好きなところを組み合わせて「霧峰」の魅力に触れてみてくださいね。
このプランの行程
1日目
25分
台湾に現存する邸宅では最大規模を誇ります。
1分
中国式の舞台は大変有名な歴史建築です。
2分
1分
コスパが高いおしゃれカフェです。☕️ 人気店なので予約が必要です。
5分
明台高校の敷地内にあります。
1分
建物の2階が博物館です。
5分
3分
係員同行で入場見学できます。 「霧峰林家花園林獻堂博物館」の見学と一緒に予約を入れてくださいね。
1分
係員同行で入場見学できます。 「霧峰林家花園林獻堂博物館」の見学と一緒に予約を入れてくださいね。
23分
2日目も観光される場合は、台中駅の付近のリーズナブルなホテルをオススメです。
2日目 観光追加プラン
22分
見るだけでも楽しいですよ♪
1分
ほっこりしますよ。🦉
8分
断層が隆起している状態が残されています。
3分
カフェやフルーツアイス、中華麺のお店などがあります。
4分
2分
写真スポットとして話題の場所です。
21分
このプランのスポット一覧
1746年、中国の福建漳州から台湾に渡ってきた「林家」。 三代目の「林甲寅」は生活の拠点を霧峰としここ一帯の開拓を始めました。 後に、大地主となり商いを営み資産を得た「林家」は、1837年に四代目で「林甲寅」の長男「林定邦」の「下厝」と次男「林奠国」の「頂厝」の二つの家系に分かれ、「下厝」は軍人として成功をおさめ、「頂厝」は教育、文化に影響力を持つ家系となります。 分かれた後、ともにこの地に邸宅を築きますが、「宮保第」は「下厝系統」の邸宅群の一つで、1858年に造られ、その後も増築されていきました。 1999年の地震で損傷しましたが、現在は修復を行い見学ができるようになりました。 要入場料
霧峰林家宮保第園区 第一進
宮保第は5進(棟)の造りになっていて、写真は第一進で、宮保第の入り口の建物。 門の扉には「門神」が描かれ、その左右の「門神」とも「子孫繁栄」や「富貴」を象徴する果物や植物を手にしています。 門に描かれている「門神」のみならず横の扉にも縁起の良い「蝙蝠」が彫刻されています。
霧峰林家宮保第園区進 第二進
第一進より中にはいり、第二進へ進むと目に入る扁額。 金箔が張られた扁額には「春秋又八千」と書かれてあり、1928年、林家6代目当主「林朝棟」の夫人「楊太夫人」の81歳のお祝いに著名な書道家「楊草仙」より贈られたものです。
霧峰林家宮保第園区進 第二進
第二進は、現在で言う応接室のような場所。 ここの左右の壁には貴重な書や絵があり、清後期に外交を担い、下関条約で清朝の代表として調印をした「李鴻章」の書もあります。
霧峰林家宮保第園区 第三進(落)
「第三進(落)」は、「宮保第」の中で1858年に一番最初に造られた建物。 1999年の地震が発生する前に撮影された写真と修復後の写真があり、軍人として成功をおさめた「林家」の5代目「林文察」が建てたという説明もありました。
霧峰林家宮保第園区 第三進
第三進は入り口の左右側面にも、狭い隙間の透かし窓の門があります。 これは「女婿窓」と言い、当時「林家のお嬢様」に結婚相手の男性を紹介する人も少なくなく、お嬢様はこの扉に隠れ、ここから見て将来の伴侶を決めたそうです。
霧峰林家宮保第園区
扉や壁等各所に施されている彫刻。 本当に細かく彫られています。 柱や軒下の斗栱部分にも芸術的なものがいろいろと象られていて、すべて縁起のよい植物や動物がモチーフになっています。
舞台がある大花庁は霧峰林家宮保第建築群を象徴する建物。 来賓をおもてなししたり、家族で観劇をするスペースで、1894年に完成しました。 舞台の左右にある建物の2階部分が観客席で、舞台に向かって左が男性専用、右は女性専用で、直接観客席に上ることが出来る男性側の造りとは異なり、女性専用のアプローチは階段を登り降りする姿が見えないよう、板で仕切られているスペースの後方より上る仕組みになっています。 また、当時、家格の高い女性は顔を見せてはいけなかったため、女性専用の観客席にはベールが掛けられていました。
霧峰林家宮保第園区 大花庁
八角形の舞台天井の装飾も美しく、牡丹の花がモチーフ。 舞台の天井中央にふっくらと丸く咲く牡丹の花は「花開富貴(運が開いて豊かになる)」を意味しています。 「大花庁」の名前の由来でもあります。
霧峰林家宮保第園区 大花庁
舞台を縁どる枠部分にもさまざまな細かい彫刻が施されています。
霧峰林家宮保第園区 大花庁
舞台の正面にある応接室。 家具や中央の彫刻が、威厳のある空間を造り出しています。
霧峰林家宮保第園区 大花庁
応接室を囲むようにお部屋があり、お部屋には、建物の模型や、軍で使用していた銃のレプリカなどが展示してあります。
霧峰でブランチが楽しめるカフェ。 このエリアはカフェが少ないのですが、ここはコスパも良く店内もモダンなオシャレカフェ。 お食事はイタリアンが主で、ドリンク、スイーツのメニューも充実しています。 お昼時になると、ランチ目当ての方であっという間にいっぱいになります。 ご利用の場合は、是非事前に予約することをお勧めします!
茉莫 La monmon 外観
看板は小さめなのでちょっとわかりにくいかもしれません。 お隣の僑榮小学校が目印です。 車で行く場合は、小学校のお向かいに駐車場がありますが、2台分しかないので、お席を予約の際に駐車場利用の確認もされることをお勧めします。
茉莫 La monmon 店内
1階入口部分はドリンクカウンターになっています。 カウンターの反対側の奥にもテーブルがあり、更に奥にはガーデンエリアもあります。 天気が良い日は、屋外のテーブルを利用してもいいですね。
茉莫 La monmon 店内
2階は広くて明るいです。 窓際にはカウンターテーブルもあり、外を見ながらティータイムを楽しむことが出来ます。
1746年、中国の福建漳州から台湾に渡ってきた「林家」。 3代目の「林甲寅氏」は生活の拠点を霧峰としここ一帯の開拓を始めました。 後に、大地主となり商いを営み資産を得た「林家」は、1837年に四代目で「林甲寅」の長男「林定邦」の「下厝」と次男「林奠国」の「頂厝」の二つの家系に分かれ、「下厝」は軍人として、「頂厝」は教育、文化に影響力を持つ家系となります。 「林家莱園」は次男「林奠国」の「頂厝系統」の花園で、以前からある「林家」の庭園を、5代目「林文欽」が1893年より再建築、母親(羅太夫人)へ感謝の意を込め休息が出来る場所として整備しました。 また、日本統治時代の台湾3大名園でもあります。
霧峰林家莱園 入り口看板
「莱園」は「明台高中(高校)」敷地内にあり、入り口看板には「莱園」のほかに「明台高中(高校)」とも書かれています。 「莱園」は、日本統治時代になると、教育、政治、文化、社会運動の交流の場所として利用されるようになり、6代目「林獻堂」は平民教育の場として「明台高中(高校)」の前身である「一進会」を創立しました。
霧峰林家莱園 木綿橋
この橋はもともと、木製のものでしたが、1930年代に6代目「林獻堂」によっ増築と補修工事が行われ、この時にコンクリートの橋に造り変えられました。 当時は、この橋は「莱園」への唯一の通路でした。
霧峰林家莱園 園門
洋風のデザインの「莱園」の園門。 1999年の地震の影響を受けてか、少し斜めになっています。
霧峰林家莱園 荔枝島
もともと、土石が溜まってできた小さな島だった所で、何本かの荔枝(ライチ)の樹が生えていたため、整備された後「荔枝島」と名付けられました。 ここは、向かいの五桂楼から眺める羅太夫人のために劇を行っていた場所です。
霧峰林家莱園 五桂楼
5代目「林文欽」が、母親(羅太夫人)のために建てた建物。 元来は、木造で作られた2階建てのものでしたが、「林獻堂」が中華と洋風を融合したデザインを取り入れ再建。 羅太夫人が他界した後も「林家」のシンボル的な場所として使用されてきました。
霧峰林家莱園 五桂楼と荔枝島
五桂楼と荔枝島の風景です。
2000年に成立した「林獻堂文物記念館」。 2019年にはその規模を拡大し「霧峰林家花園林獻堂博物館」が、「霧峰林家莱園」のお隣にオープンしました。 「林獻堂」は1881年、霧峰の資産家「林家」に生まれ、後の日本統治時代に政治、文化の活動家として貢献、「台湾議会之父」と呼ばれています。 実業家としても、製紙会社の取締役に就任、金融会社を設立するなど、経済的にも大きな影響力がありましたが、戦後、国民政府が台湾に来ると、「林獻堂」は日本へ行き病気の治療に専念、台湾に帰国することなく日本で死去しました。 ここでは「林家」の紹介と「林獻堂」にまつわるものが展示されています。 要予約 要入場料。
霧峰林家花園林獻堂博物館
建物の2階、「林献堂博物館」の入り口。 「林獻堂」は「林家」の6代目で、1920から1935年の間、日本の帝国議会に台湾独自の議会の設置を請願する「台湾議会設置運動」の中心人物でした。 展示品は撮影禁止の為、皆さんにご紹介することが出来ず残念ですが、「林家」の家族についての説明や生前に使用してた豪華な家具や、日記、写真などがフロアーいっぱいに展示されており、見ごたえ抜群です!
「阿罩霧」とは「霧峰」の旧地名。 ここは軍人として活躍をした、「林家」の5代目「林文察」が、1863年に中国大陸部から台湾に戻る際、「無事に台湾に帰れるよう」と漳州より分霊してもらい船中で手を合わせていた航海の神様「媽祖」を祀っているところ。 「林文察」が無事に霧峰に戻ってきてまもなくは、住居内に置かれあがめられていましたが、その後、「宮保第」の後方の土地である現在の位置に「廟」を造り祀ったのが始まりです。
阿罩霧南天宮 林文察の御神体
阿罩霧南天宮の後殿には、「林文察」のご神体も祀られていました。 きりっとしたお顔ですが、優しいまなざしが印象的です。
阿罩霧南天宮 主神
正殿に祀られている「媽祖様」にもお参り。 阿罩霧南天宮は3階建で、2階には「観音菩薩」が、3階には「玉皇大帝」など、多くの神様が祀られています。
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日本統治時代に政治、文化の活動家として貢献し「台湾議会之父」と呼ばれている「林獻堂」の住まいだった所。 ここの建物は「頂厝系統」の始祖「林奠国氏」が1864年に造り、後も増築され、日本統治時代に「林獻堂」が補修工事を行いました。 3進(棟)の造りになっており、建築のに施されている細かな彫刻や描かれている絵などは大変見ごたえがあります。 お部屋内には、家具や舶来品が展示されており、その豪華な様子から当時の情景が目に見えるほどです。 7日以前の予約が必要で、係員同行で見学が可能です。 要入場料(林獻堂文物記念館と共通)。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 景薫楼
景薰樓の第一進(一棟目)である建物「公媽廳」は、ご先祖のお位牌を祀るところ。 入り口の上にかかっている扁額も大変印象的です。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 景薫楼 内部
建物の梁にある縁起担ぎの彫刻。 右側のお魚が左の龍を追うような形で装飾されているもので、「徐々に出世していく」などの意味が含まれています。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 景薫楼 内部
お部屋の造りは、現代の造りと比べるとちょっと小さな感じです。 家具なども展示してありますが、実際に使用されていた家具や装飾品の一部は「林獻堂文物記念館」にも展示されています。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 景薫楼 内部
お部屋の家具は中華式ですが、洋式の置時計なども展示してあり、当時、海外との交流があったことがわかります。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 景薫楼 内部
敷地内の一角に日本風な造りになっている所があります。 写真の中央奥に写っている建物は、「お風呂」だった建物で、住み込みで働いていたお手伝いさん専用だったそうです。
ここの建物は「頂厝系統」の始祖「林奠国」が1838年に建て、住居としていた建物で、1887年には、レンガ造りの「三合院」式の建築に増改築されました。 「三合院」とは中国や台湾の伝統的な建築スタイルで、建物はコの字型をしていて、中央部分はお庭になっています。 「蓉鏡齋」は1999年9月21日に発生した地震で、建物のほとんどが倒壊する大きな被害を受けました。 地震の後、当時の文化等を後世に残し、多くの人に知ってもらうため、林家の後継者は学者や専門家の方の力を借り、十年以上をかけて修復と再建を行いました。 7日以前の予約が必要で、係員同行で見学が可能です。 要入場料(林獻堂文物記念館と共通)。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 蓉鏡齋 内部
再建後の内部。 梁の色の黒い部分は、元来の建物で使用されていた建材です。 再建は、使用できる元来の建材をできるだけ利用して行われました。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 蓉鏡齋 内部
蓉鏡齋は林家の私塾としても使用されていたそうです。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 蓉鏡齋 内部
「林獻堂」がパリで撮影した写真。 1927年5月、「林獻堂」は世界一周旅行のため基隆港を出発。 378日をかけ、16か国、60以上もの都市を訪問したそうです。
霧峰林家花園林獻堂博物館園区 蓉鏡齋
地震で倒壊した建物を再建しようと試みましたが、この部分の建築について残っていた資料は不十分だったため、再建は実現しませんでした。 建物の基礎だけが残っています。
1906年起工、1914年に完成した建物。 「頂厝系統」の「林記堂」の趣味の場所として造られました。 およそ70年前は、台中県県長の接待所などとして使用されました。 1985年に古跡建築に指定され、リノベーション工事が行われ、近年一般開放されました。 要入場料
霧峰林家 頤圃
中国式と日本式が折衷された建築スタイルで、内部には当時使用していた家具や写真、自家用車などが展示されています。
比較的大きな市場で、野菜、お肉、お魚などの食料品のほか、洋服、装飾品、日用品の販売をしているお店もあるのでなんでも揃います。 市場は建物の中なので、雨天日でもお買い物が出来ます。 市場の建物に続く民生路にも午前中には露店が並び、ここ周辺は大変活気にあふれます。 お時間があれば、市場も少し歩いてみてはいかがですか。
台中市霧峰市場
霧峰の台所。 営業時間はお店にもよりますが、07:00から御昼過ぎくらいまで。 お野菜などは、台北と比べるとずいぶんとお安いです!
台中市霧峰市場
台湾の方は鍋ものよく食べます。 ですので、お鍋に入れる練り物、具材の専用店も。 好きなのを選んで、量り売りです。
台中市霧峰市場
装飾品店とお惣菜店がお隣同士! 伝統市場ならではの光景です。
霧峰の街には、たくさんのフクロウのオブジェがあります。 霧峰の山にはフクロウが生息していて、その生態系を守るために巣箱の設置や環境改善の活動も行われています。 そのため、オブジェや小さなフクロウ公園などが造られているんです。🦉
猫頭鷹小公園
霧峰区役所の裏にあるフクロウ公園。 小さくてちょっとわかりにくいですがここにもいろいろなフクロウのオブジェや、小さな教会もあります。 もし、ここを通ったら覗いてみてください。
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1999年9月21日、01:47にマグニチュード7.3の地震が発生しました。 ここ一帯は大きな被害を受け、光復中学校の運動場は隆起し、校舎も一部で半壊してしまいました。 その地震での被災の状態を保存し教材として再利用、教育の場所として2001年「921地震教育園区」として生まれ変わりました。 要入場料
921地震教育園区
運動場の地中に断層があり、その土地が大きく隆起した状態がそのまま残されています。
921地震教育園区
地震の揺れによって崩れてしまった校舎。 その建物も教育の資料として残されています。
921地震教育園区
台湾は小さな島国でありながら高い山頂がある山脈もあります。 その山脈についての紹介もあります。
戦後にできた最初の村で、政府教育庁等の旧職員宿舎が集まっている場所。 台湾では初めて下水道が備え付けられ、当時では最新のシステムが導入された都市建築です。 宿舎としての役目を終え、現在は、カフェやレストランなどが並ぶエリアになり、霧峰の文化と芸術の拠点でもあります。
光復新村 BiColor現烤可頌。畢卡樂
焼きたてのクロワッサンが楽しめるお店。 プレーンやチョコレート味、アイスクリームを挟んだもの等、色々楽しむことが出来ます。
光復新村 眷春水果冰
かき氷とアイスクリームが食べれれるお店。 子供連れに大変人気のお店で、ケーキなどもあるので、散策の休憩の時に行かれるのもいいですよ。
霧峰の農会(農協)が経営する酒造が生産する商品販売所。 近年では、霧峰農会が稲の品質改良を行い、ブランド米となった「益全香米」を原料とした清酒の生産を開始し、地元の人のみならず清酒好きの人たちからも人気です。
霧峰農会酒荘 荔枝蜂蜜酒
ライチミード。 アルコール度は8%で、甘くて飲みやすいと女性に人気のお酒。 冷やして飲むとさらにおいしい品切れ注意品です。
霧峰農会酒荘
お酒の国際コンクールにも出品、数々の賞を受賞しています。 有名レストランからもお酒のメニューとして選ばれるほどです。
霧峰農会酒荘
お酒の他にも、お米や麺、調味料などの商品を販売しています。 ご当地土産として国内のお客様に人気です。
2001年に設立された、台湾では新しい大学。 大学のセンタービルは、まるでヨーロッパの宮殿のような外観で、キャンパスはオープンガーデン式となっています。 また、キャンパスの中にはいろいろな芸術的オブジェがあるので、写真撮影スポットとして人気の場所であります。 お時間があれば足を延ばしてみて、ちょっと違った記念写真をどうぞ!📷
亜洲大学(アジア大学) 亜洲現代美術館
海外でも活躍をされている日本の建築士「安藤忠雄氏」がデザインした建物で、2013年に建てられた「亞洲大學現代美術館」。 期間限定での展示が行われています。 要入場料
亜洲大学(アジア大学) 亞洲大學體育館
コロッセオのような外観の建物はアジア大学の体育館です。 中には入れませんが、ここも、記念写真を撮るのに人気の建物です。
1917年に落成した駅舎。台中駅は1905年に開業。この駅舎は2代目の駅舎で、当時の辰野風のデザインが美しい外観。現在は引退し憩いの場所に生まれ変わりました。
旧台鉄台中車站(駅)のプラットフォーム
昔使われていたプラットフォームは今ストリートパフォーマンスが行われる広場になっています。柱は当時のままです。
新台鉄台中車站(駅)
現在はこちらが現役。高鉄台中駅最寄り駅新烏日駅へは4駅。便利ですね。
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