神戸市中央卸売市場で食す旬と清盛
兵庫神戸市中央卸売市場で食す旬と清盛
まいどまいど! 神戸の台所・神戸市中央卸売市場。 ここでは新鮮な食材が集まる場所として知られ、隣接する飲食店街でたっぷり味わうことができまんねん。 ほんでまた周辺は平清盛によって発展した場所としても知られ、清盛に関する伝説がぎょうさん残っておます。 その中でも清盛塚や住吉神社など歴史ファンが訪れる人気観光地の一つともなってまんな。 また、清盛を模した像は兵庫区のシンボルともなってまんな。 そんな平清盛を全国区へと導いたのが港・兵庫津という存在。 古くから海の玄関口として栄え、全盛期には北海道・蝦夷地と大阪・大坂とを結ぶ北前船が往来。 界隈には富豪となった高田屋嘉兵衛にまつわる名所がぎょうさん残ってまんねん。 その他、兵庫城址や兵庫県庁跡に開設された兵庫県立兵庫津ミュージアムは話題に。 兵庫大仏との異名を持つ日本三大大仏の一つも当地にあり、その迫力を肌で感じることができまっせ。 また当地にはかつて兵庫城が築城。 兵庫津とともに兵庫区を代表する歴史遺産でおます。 そんな歴史あふれる場所で食べる安くて美味しい昔ながらの食堂も。
1932年、全国で5番目の市場として中央卸売市場を神戸市が設置。 神戸市産業振興局に所属。 兵庫県神戸市兵庫区中之島に本場、長田区苅藻通に西部市場、東灘区深江浜町に東部市場を設置。 本場では水産物と青果物、西部市場では食肉、東部市場では水産物・青果物を中心に取り扱う。
トマティ マスカっちょ ととミー
兵庫県神戸市にある神戸市中央卸売市場内で活躍するマスコットキャラクター「トマティー」「マスカっちょ」「ととミー」。 リーダー魚のととミー、トマトのトマティー、ぶどうのマスカっちょで結成された「ととかな隊」は神戸市中央卸売市場の新鮮な食材から生まれた。
中央市場 展示コーナー
神戸市中央卸売市場内にある展示施設。 2020年、開設。 施設内では神戸市中央卸売市場の歴史や旬の食材、場内事業者紹介などを行っている。 青果物や水産物の解説動画や市場のジオラマ模型が展示。 また、神戸市中央卸売市場で活動するマスコットキャラクターで「ととかな隊」に所属する着ぐるみが展示。
海鮮丼や海産物を中心とした定食が味わえる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 メニューはマグロ、サーモン、いくら、うなぎを中心とする丼や定食など。
地魚海鮮丼
限定20食 地魚海鮮丼 マグロやサーモン、海老、いくら、玉子など。
兵庫津と呼ばれる港は古くから天然の良港であった。 僧侶・行基が開いた播磨・摂津の港「摂播五泊(室生泊・兵庫県たつの市、韓泊(福泊)・姫路市、魚住泊・明石市、大輪田泊・神戸市、河尻泊、尼崎市)」の一つ。 804年、最澄、空海が第4回遣唐使として船出。 平安時代、平清盛が日宋貿易の拠点「大輪田泊」に大修築、関西から中国と九州へ向かう航路の船泊りとして築かれた。 日本最初の人工島「経ヶ島」も港の防波堤の役割で建造。 鎌倉時代、兵庫津と呼ばれるようになった。 室町時代、勘合貿易の国際港として栄えた。 江戸時代、北前船の交易により国内の主要な港の一つとして発展。
兵庫津遺跡
北前船は大阪で米、塩、酒、木綿、鉄の農機具、石、紙、陶磁器、ロウソク、菓子等を仕入れ、北海道・蝦夷地ではニシン、昆布、アワビ、ナマコ、フカヒレ等の特産物を積み込み、瀬戸内海と日本海の各港で産物を売買、当時の日本経済の先導役を果たした。 兵庫津では、工楽松右衛門、高田屋嘉兵衛、北風正造の3人が、北前船を元に大きな足跡を残した。 明治時代、造船業や兵庫運河等、経済を支える重要な地域として近代化が促進。
兵庫県は平清盛ゆかりの地として知られ、平清盛がモデルとなった清盛くんは地域のシンボルとなっている。
小売業イオンが運営する大規模商業施設イオンモール神戸南内にある観光案内地図「地域の歴史と周辺MAP 兵庫津の道」。 ここではイオンモール神戸周辺の神社や寺院仏閣、史跡、近代建築物などの観光案内、情報発信を行っている。 また施設内では神戸市中央卸売市場に関連する新鮮な食材が販売されている。
2021年、兵庫県は兵庫県立兵庫津ミュージアムの「初代県庁館」を開館。 かつて初代県庁が兵庫津に設置された。 1868年、初代兵庫県の県庁舎は県(第1次)が成立、旧大坂町奉行所の勤番所に設置。
兵庫県立兵庫津ミュージアム
施設内では兵庫勤番所をはじめ、知事執務室、旧同心屋敷などを復元。 また、初代兵庫県知事の伊藤博文氏などと記念撮影を楽しむことのできるバーチャルツアーや施設のナビゲータとともに兵庫津の史跡や名所を巡る「兵庫津まちあるき」などのコンテンツも。
兵庫県立兵庫津ミュージアム
1868年、2代目庁舎(現在の神戸市中央区橘通、神戸地方裁判所所在地)に移転。 1873年、県令神田孝平が合併により広大化した兵庫県の事務処理能力拡大と空白地域振興を画策し、下山手通にあった当時のオランダ領事コルトハウスの邸宅を購入して3代目庁舎とした。
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一般財団法人神戸港湾福利厚生協会が運営する食堂。 店内はテーブル席がある。 メニューはうどん、そば、カレーライスをはじめ、ラーメンや定食などを味わうことができる。
おすすめランチ
本日のおすすめランチ。
石碑には、「扇港五十年」と刻まれている。 扇港とは、神戸港が、二つの扇を広げたような地形から。 神戸市の市章も扇を二つ重ね合わせた形となっている。
神戸港の西に位置する兵庫港は、江戸時代まで栄えていた兵庫津跡。 1578年、有岡城の戦いで荒木村重が織田信長に謀反をおこし、有岡城が落城。 荒木村重は花隈城へ落ち延びたが、織田信長軍の武将で池田恒興(信輝)・輝政父子の活躍により落城。 1581年、池田恒興は兵庫津に城を築いた。 兵庫城下は豊臣秀吉の直轄地となり片桐且元が代官として入城。 呼称も兵庫城から片桐陣屋と称した。 1615年、大坂城落城後、尼崎兵庫津一帯は尼崎藩に組み込まれ兵庫城址には陣屋(兵庫津奉行所)が置かれた。 1769年、兵庫城址の陣屋が勤番所に改築。 明治時代、勤番所が初代の兵庫県庁となり、伊藤博文が初代知事として赴任。
付近は古くから兵庫の津として栄える一方、風浪を避ける場所がなく、船の運航に難儀していた。 明治時代、地元住民の熱望より、大阪市住吉区に鎮座する住吉大社より海の守護神として勧請し、社殿を竣工。 大正時代、市電が柳原から中之島へ通じ、また、南西側には清盛塚が移設された。 神社付近は、「清盛塚商店街」が形成され、にぎわったとか。
目の前は、清盛橋。 住吉神社境内には、県指定文化財に指定された十三重の石塔がある。 古くから、平清盛墓と伝えられてきたが、発掘調査の結果、墳墓ではなく供養塔であることがわかった。
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800年代、恵萼が唐より観世音を持ち帰り、和田岬で船が動かなくなったので、堂を建てて祀ったのが始まり。 1276年、一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。 遊行2世他阿上人が寺を建立、伏見天皇から真光寺の名を賜り、時宗の寺となる。 赤松則村(円心)が寄進。 1369年、第6世尊観法親王が本山鎌倉遊行寺の遊行上人となり、以後、本山遊行上人の兼帯となる。 1945年、神戸大空襲で全伽藍を焼失。 清盛七弁天の真野弁天は大日堂にあったとか。
琵琶の形をした古墳を琵琶の名手であった平経正の墓として伝えてきたもの。 市電の道路拡幅工事により現在地に移転された。 柳原義達氏作の平清盛像が建立。
公園内には笠松と碑がある。 「和田の笠松」とは、入港する船の目標となり、重要な目印の松となっていたとか。