
「きれうりわり」ってどんなとこ?
大阪「きれうりわり」ってどんなとこ?
まいどまいど! 大阪の難読地名の一つに挙げられる「喜連瓜破」。 これって皆さん、読めまっか? 実は表題にもおますように「きれうりわり」と読みまんねん。 大阪にはこうした難読地名がぎょうさんおまして、「放出(はなてん)」や「住道矢田(すんじやた)」、「我孫子(あびこ)」など平野区・東住吉区近辺で見受けられまんねん。 そうした難読地名の場所にはどんな名所があるねんやろ? そんな興味本位で訪れたのが喜連瓜破でんねん。 ここには1615年の大坂の陣で活躍した徳川家康や真田(信繁)幸村らの足跡を伺い知ることができまんねん。 かつて真田幸村が戦勝志願に訪れたという神社や休憩をとったという跡地。 他の場所では徳川家康の命を懸けて真田幸村が地雷を仕掛けたとされる場所など、大坂の陣の激戦地さながらの歴史を感じる場所として知られてまんねん。 そのほか、瓜破遺跡に代表される古代遺跡が点在し、発掘調査も活発に。 今と昔が交錯する平野区の喜連瓜破界隈を散歩してみまへんか。 ほな、まいどおおきに!
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ガラス工芸や陶芸、染色、織物、木工、金工など多部門の工房があり、創作教室が開催されている。 教室は初心者向けの基礎コース、本科コース、専門コースなどに分かれている。 館内では定期的に受講生の作品展示会や、イベントなども開催している。 またクラフトショップでは、さまざまなクラフト作家の作品や大阪の伝統工芸品、クラフト雑貨を展示販売している。 一日体験教室や夜間教室も開かれる。
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付近には、高校や大学があり、若者でにぎわっている。 比較的新しい雰囲気の店内には、テーブルとイスが並べられ、内装そのもののデザインも面白い。 厨房前には、「今日のオススメ」と題した掲示があり、グリヤマ君もお出迎え。
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オムライスの定食
ハンバーグやオムライスなどのメニューが並ぶ。
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憩いの場として親しまれている。 1987年、公園内から5世紀前半の円墳と方墳が発見された。 墳丘は削りとられていたが、船形埴輪や家形埴輪などが出土した。 現在、33点の埴輪は国の重要文化財に指定されている。 1989年、大阪市制100周年を記念して、船形埴輪は「古代船なみはや」として復元された。 その後、実際に韓国釜山までの航海を行なった。 現在、石柱とともに、この付近の歩道に船形のモチーフがはめられている。
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祭神は、長江襲津彦命。 794年、創建されたとされる。 大阪の陣での戦勝祈願に真田幸村が訪れたと伝わる。
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大坂夏の陣の頃、真田幸村は、徳川方の伊達正宗軍と一戦を交えた。 その後、古市街道を経て大坂城へ帰城する途中、この地にて休憩したと言う。 戦勝祈願のため、志紀長吉神社へ訪れ、軍刀を一振りと六文銭の軍旗を奉納した。 現在、石碑だけが当時を物語っている。
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1939年、弥生時代当時の土器や石器、木器、銅鏃などが出土した。 また、中国の王莽時代の貨泉・銅貨が出土したことにより、中国文化の影響がうかがえる。 現在、花塚山・ゴマ堂山の2基の古墳が現存する。
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八尾と杉本町の支線は関西本線と阪和線を結ぶ連絡線である。 通称、阪和連絡線とも呼ばれている。 JR西日本の旅客営業キロ11.3kmが設定され、臨時列車や団体専用列車、定期列車が運転されていた。 現在では、関西本線からの接続部が撤去され、廃線となっている。
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大阪市平野区にある橋である。 初めて架けられたのは、明治初期。 大阪市から高野山方面へ通じる中高野街道が大和川を越える地点に橋が架けられた。 地元の人々の寄付によって架けられたもの。 1954年、架け替えられた。