
天理スタミナラーメンを食べながらお笑いを堪能
奈良天理スタミナラーメンを食べながらお笑いを堪能
まいどまいど! 奈良県天理市はテレビコマーシャルなどでおなじみの奈良健康ランドがあり、大和温泉を堪能することができまんねん。 また、パフォーマンスステージでは笑いの殿堂・なんばグランド花月で人気の吉本新喜劇が演目に。 身近にお笑いを楽しむことができまっせ。 ほんでまた、天理市にはスタミナラーメンの発祥の地。 市内各所には天理スタミナラーメンの看板を掲げたラーメン店があり、行列が絶えまへんな。 健康ランドの温泉とお笑いでほっこりして、ラーメンを食して楽しもう! ほんでまた市内には戦艦ヤマトにゆかりのある大和神社が鎮座。 日本海軍の軍艦の一つである大和は当社が由来となっているという。 境内には戦艦大和展示室があり、1945年に活躍した日本海軍の戦艦大和に関する歴史や模型、資料などが展示、保存されている。 さらに最近注目を集めるタニタ食堂が高井病院にあり、病院内にはタニタの社員食堂のレシピを忠実に再現したタニタ食堂が営業してはりまんねん。 ほな、いっぺん、食べにいきまひょか。 奈良県内の歴史や芸術、食などの文化と触れあうことができる道の駅もおまっせ。
施設内にある温泉「大和温泉」は地下約800mより湧き出る「ナトリウムー塩化物泉」で関節痛、冷え性、疲労回復、慢性皮膚病等の療養泉とも言われている。
吉本新喜劇と一緒に
駐車場入り口、パフォーマンスステージ前などには吉本新喜劇の人気タレントのキャラクターデザインが描かれていた。 パフォーマンスステージでは笑いの殿堂「なんばグランド花月」から飛び出して吉本新喜劇が開演する。
日本初のナノ酸素水テラピー風呂をはじめ10種類の浴槽、露天風呂、ジャグジーバス、薬湯、打たせ湯、サウナ等がある他、年間通じて遊ぶことのできる屋内レジャープール、巨大スライダーやボールプール等、親子で楽しめる屋内巨大エア遊具テーマパーク「奈良わんぱくランドはしゃきっズ」、パフォーマンスステージ、マッサージコーナー、休憩室、カラオケ、ゲームコーナー、レストラン、アミューズメント、宿泊施設等を有する。
外科や内科、眼科、歯科口腔外科、放射線科など地域の総合病院。 病院内にはタニタの社員食堂のレシピを忠実に再現したタニタ食堂が営業。 タニタとは「乗るだけで計測できる体脂肪計」世界初「家庭用体脂肪計付ヘルスメーター」などを製造販売する計測器の大手メーカー。 タニタ食堂とは2012年、ビジネスの中心地、丸の内から日本を元気にしていきたいという思いからオープン。 現在、タニタ食堂は東京・丸の内、岡山、北九州、福岡にあり、関西地域では当地のみ。 メニューは日替わり定食やカレーライスなど。 日替わり定食の場合、一食で約500kcal。
タニタ食堂
厚生労働省が示した野菜摂取量の一日の目標は350gであるが、タニタ食堂は1定食に付き約200gの野菜を使用。 自然に咀嚼回数が増えるよう、野菜を大きめにカット。 火を通しすぎない調理で、噛みごたえのある硬さにすることで、脳が満腹と感じる時間の目安約20分間、噛むことで満腹感が得られる。 旬の食材を使用し、塩分量は1食約3g。 ご飯の量は「100g(約160kcal)」。
カウンセリングルーム
併設されたカウンセリングルームでは管理栄養士からアドバイスを受けることもできる。
「汗かき地蔵尊」。 世の中に起こる「良いこと・悪いこと」を汗の色によって告げられるとも。 良いことには白い汗、悪いことには黒い汗をかくといい、「汗かき地蔵尊」ではお願いごとをすると、汗を流して叶えてくれるという。
治道の森のほとりに位置し、柿本氏の氏寺であった。 柿本氏の歌聖柿本人麿の遺骨を葬ったので、人麿崇敬が盛んになるにつれ、歌塚として有名となった。 奈良時代、柿本寺が創建。 1337年、南北朝時代、北朝軍が天王社(治道社)や柿本寺に陣取って南朝軍と戦った。 江戸時代、代々学僧が出て和歌や茶の湯などに親しんだ。 明治時代、廃寺となった。
和爾下神社古墳
東大寺山の西の麓にあたり、東大寺山古墳群に属する和爾下神社古墳の後円部が和爾下神社の境内となっている。 北側に前方部、南側に後円部がある前方後円墳。 全長約105m。 築造時期は400年代。 東大寺山古墳、赤土山古墳に次いで造られたとも。
祭神は素盞嗚命、大己貴命、櫛稲田姫命。 古道竜田道と上ツ道の交わる地に鎮座。 大和郡山市に鎮座する和爾下神社(下治道宮)に対し、上治道宮、上治道天王とも呼ばれる。 当初、和珥氏同族の柿本氏の祖神を祀る神社であった。 鎮座地は東大寺領の櫟庄にあたり、神護景雲年中からため池や水路の開発、横田道(竜田道)の改修も行われた。 古くから治道の呼称があり、神宮寺として柿本寺があった。 中世、柿本宮と称し、南北朝時代以後、軍陣として利用されてきた。
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メニューはスタミナラーメン、夜鳴きラーメン、味噌ラーメン、つけ麺(豚骨和風)など。 スタミナラーメンには白菜、ニラ、ニンニク、豆板醤など。 夜鳴きラーメンは九州の「夜鳴きラーメン」から。 ジャズ専門のライブハウスで、ライブの終わりにラーメンを振舞っていたことからはじまる。 1980年、奈良県天理市にて屋台で開業。 1987年、奈良県天理市で天理スタミナラーメン本店として開店。
西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)、近畿日本鉄道(近鉄)天理線の停車駅の一つ。 別名、天理総合駅。 1898年、奈良鉄道(桜井線)の丹波市駅として開業。 1905年、関西鉄道の駅となる。 関西鉄道が国有化、官設鉄道の駅となり桜井線の所属となる。 1963年、天理市駅に改称後、1965年に天理駅に改称。 1987年、国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)となる。 1915年天理軽便鉄道(近鉄天理線)天理駅が開業。 1921年、天理軽便鉄道が大阪電気軌道(大軌)となり、天理鉄道線となる。 1941年、大軌が参宮急行電鉄と合併、大軌天理駅が関西急行鉄道(関急)の駅となる。
近畿日本鉄道
1944年、関急天理駅が近畿日本鉄道(近鉄)の駅となる。 1964年、近鉄の天理駅が移転。
2017年、佐藤オオキ率いるnendoデザインによる駅前広場が完成。 愛称はコフフン(古墳をイメージしたオブジェクトが設置されたことから)。 また広場内には天理市内で出土した海獣葡萄鏡の複製と看板も。 中国の唐の時代、鏡背を葡萄唐草文と禽獣文で飾る鏡。 唐草文は植物の茎や蔓を表した文様で、西アジアから中国に伝来。 鈕は伏せた形の獣で、4頭の海獣を並べている。 海獣は海外の理想郷に住む想像上の獣「猊(さんげい)」のことで、獅子に似た姿をしている。 外側には12羽の鳥と2匹の蝶が配されている。
田井庄池を中心とした公園。 園内には遊具やベンチなどが設置されており、市民の憩いの場となっている。 また日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計したD51形蒸気機関車が常時展示されている。 1942年に製造、1971年に廃車となった。 現役引退までの総走行距離は約167万5219km(地球約42周)。 木造客車「オハ61 930」は大正時代に製造され、1955年に鋼製客車として改造された。
天理駅前から天理教教会本部へと続く商店街。 天理駅は、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)と近畿日本鉄道天理線の停車駅の一つ。 商店街は門前町通りとしてのにぎわいを見せ、飲食店や居酒屋、サービス店、神具店・装束店など全長約1km、約180の店舗が軒を連ねる。 天理教教会本部の祭典日・催物には、全国から多くの参拝客が訪れ、商店街にさらなるにぎわいを見せるとか。 天理教とは1838年に成立した宗教の一つで中山みきを教祖とし、現在は奈良県天理市に本拠地を置く。
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黒松稲天、大和高原 氷室のさとなどを醸造、販売する酒蔵。 1877年、稲田源治郎氏は天理教初代管長中山眞之亮氏より「稲の花」の名を授かり、天理教御神酒として醸造開始。 稲田政兵衛氏が天理教二代真柱中山正善様より「いなてん」の名を授かる。 1949年、稲田源司氏が稲田酒造合名会社を設立。 1970年、当社の酒粕を活かした奈良漬けの製造を開始。 全国新酒鑑評会にて9BY「黒松稲天大吟醸酒」が金賞受賞。
ワイングラス
ワイングラスでおいしい日本酒アワードにて「山乃かみ 酵母使用純米酒黒松稲天」が金賞受賞。 全国新酒鑑評会にて30BY「黒松稲天大吟醸酒」が金賞受賞 ワイングラスでおいしい日本酒アワード2020にて「黒松稲天 大吟醸」「黒松稲天 純米吟醸」「大和高原 氷室のさと 天理福住」金賞トリプル受賞。
別名、石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、布留社、岩上大明神、布留大明神など。 日本書紀に記された神宮は伊勢神宮と石上神宮のみで、日本最古設立の神宮となる。 祭神は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神、宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命。 古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座。 古代軍事氏族の物部氏が祭祀、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たした。 布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使用された剣、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れて入手)を通して天皇の元に渡った。
物部氏
物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られたが、勅命により物部氏の伊香色雄命が遷座、石上大神として祀った。 素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(岡山県)から当社へ遷されたとも。 本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を布留高庭、御本地などとして祀り、2つの神宝が埋斎とも。 1874年以降、発掘調査の際に出土した刀(布都御魂剣)や刀(天羽々斬剣)、曲玉などの神宝を奉斎する。
奈良県内の歴史や芸術、食などの文化と触れあうことができる施設。 文化財4分野(仏像等彫刻、絵画・書跡等、建造物、考古遺物)の修復作業現場の公開は日本で初めて。 文化財修復・展示棟では仏像等彫刻、絵画・書跡等、歴史的建造物、考古遺物の修復工房を通年公開。 芸術文化体験棟ではアーティスト交流、幼児向けアートプログラム、ホールを活用した音楽、伝統芸能体験プログラムを行う。
道の駅 なら歴史芸術文化村
交流にぎわい棟では県産食材を使った料理が味わえるレストランのほか、農産物や伝統工芸品などを販売する直売所、サイクルステーションがある。 情報発信棟では道路交通情報、歴史文化資源などの情報発信、観光案内を行っている。
江戸時代に成立した新宗教(教派神道)の一つとして知られる天理教の教祖、中山みきの生誕地。 1798年、生まれ。 生家の前川家はこの地で代々庄屋を勤めた。 13才の時、三島町(旧同郡庄屋敷村)の中山家へと嫁いだ。
祭神は日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神。 倭大国魂神は元々、大地主大神として天照大神とともに孝昭天皇の時代から瑞籬宮の大殿に同殿共床で祀られていた。 世の混乱は両神の勢いの為であると畏れられた。 崇神天皇は神威を恐れ、天照大神を皇女豊鋤入姫命に命じて大倭国の笠縫邑に移して祀り、倭大国魂神は皇女渟名城入姫を斎主として宮中の外で祀らせた。 淳名城入姫は髪が落ち、体は痩せて祭祀を続けることが困難に。 倭迹迹日百襲姫命は夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。 倭迹迹日百襲姫命・大水口宿禰・伊勢麻績君らも同じ夢を見た。
日本海軍の軍艦の一つ
神武天皇の臣・椎根津彦の子孫で大倭直の祖である市磯長尾市を祭主として、新たに神地が定められ、当社が創建。 平安時代、諸国に神封327戸という天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けて隆盛。 平安京への遷都や藤原氏の隆盛、火災などにより一時、衰退。 また日本海軍の軍艦の一つである大和は当社が由来となっており、現在もゆかりの地として知られている。
戦艦大和展示室
1945年に活躍した日本海軍の戦艦大和に関する歴史や模型、資料などが展示、保存されている。
戦艦大和記念塔
大和国が艦名の由来となっている日本海軍の戦艦大和には、当社の祭神の分霊が艦内神社として祀られた。 1945年、戦艦大和は坊ノ岬沖海戦によって沖縄沖で沈没。 戦死した第二艦隊司令長官ら約2700名が末社・祖霊社に合祀。 1972年、軽巡洋艦矢矧と駆逐艦8隻の戦没者も合祀。 坊の岬沖海戦の全戦死者が国家鎭護の神として祀られている。
星塚古墳
500年代に築造された前方後円墳。 前方部は消失。 発掘調査では横穴式石室、金製の耳飾り、ガラス製の勾玉、丸玉、小玉、メノウ製の管玉、水晶製の三輪玉などが出土。 古墳の周囲には二重の周濠。
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西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)の停車駅の一つ。 1914年、桜井線の丹波市駅(天理駅)と柳本駅間に開業。 1987年、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。