
レトロ!モダン!な建築物を探しに、大阪へ出かけよう!
大阪レトロ!モダン!な建築物を探しに、大阪へ出かけよう!
まいど! 江戸時代の大阪は、天下の台所と呼ばれ、全国から物資が集まり、経済の中心地として発展してきた。 大阪証券取引所の前身にあたる堂島米会所は五代友厚氏が携わり、現在の先物取引、為替を世界で初めて誕生させた。 また、明治、大正、昭和前期にかけての大阪は、近代紡績業を中心とするモノづくりの町として発展し、東洋のマンチェスター、つまり、世界の煙の都としての異名を持っていた。 道修町では医療用の薬品のまちとして発展、大阪薬科大学の発祥地にもなった。 大阪城、心斎橋、難波、道頓堀などの人気観光地を多数、抱える大阪市中央区には、レトロでモダニズム建築がいっぱい。 最近では、近代建築物として人気を集めてはりまんな。 ここでご紹介する近代建築物とは、明治、大正、昭和前期にかけて流行したヨーロッパ風の建物で、日本古来の和とは違った趣のあるデザインが特徴でんな。 え?どんなデザイン? 百聞は一見に如かず。 大阪市中央区内に点在するレトロでモダンな建築物をご紹介していきまひょ!
1634年、徳川家光氏が大坂城に訪れた際、大坂町中の地子銀(固定資産税)の永久免除を約束したと言う。 その恩恵に感謝して釣鐘をつくったと言う。 1870年、撤去され、釣鐘は大阪府庁の屋上に移動した。 1985年、再び元の釣鐘屋敷地へ戻された。 現在、日に3回鐘の音をひびかせている。 また、現地の町名である「釣鐘町」の由来でもある。
1927年、安井武雄氏の設計で、地上5階、地下1階建。
1889年、弘世助三郎、十一代目鴻池善右衛門、片岡直温らで生命保険会社を大阪で発足させた。 1935年、長谷部鋭吉氏の設計により、地上7階の本店ビルが建設された。
1921年、野田三郎氏の邸宅として建設された。 現在は、商業施設として利用されている。 地上5階、地下1階建。 また、登録有形文化財に指定されている。
1924年、曾禰中條建築事務所により設計された後、地上7階建として竣工。
1925年、村上徹一建築事務所の設計により、地上5階として建設された。 国の登録有形文化財に指定されている。
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1893年、日本の香料メーカーとして創業した。 1930年、本間乙彦氏の設計により、地上4階として建設された。 1933年、日本の香料メーカーとして設立された。 現在、オフィスビルとして利用されている。 2009年、登録有形文化財に指定された。
1923年、長田岩次郎氏の設計により、旧澤野ビルが地上3階として建設された。 現在は、伏見ビルと呼ばれている。 また、登録有形文化財に指定されている。
1912年、大阪教育生命保険の事務所として建設された。 設計は、辰野金吾氏によるもの。
1918年、辰野金吾氏によって設計された創業者である八木常三氏による銀行の本社ビル。 1968年、一般企業に譲渡された。
通称、大阪ガスビルやガスビルなどと呼ばれている。 現在、大阪ガスの本社となっている。 1933年、安井武雄氏によって設計され、竣工した。 地上8階、地下2階だが、南館の竣工当時は地下1階だった。 1966年、佐野正一の設計により、北館が増築された。 2003年、名称を大阪ガスビルディングとして、国の登録有形文化財として指定された。 また、モダニズム建築物として「日本におけるDOCOMOMO100選」にも選定されている。
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1926年、平松英彦氏の設計により、地上6階として建てられた。 現在は、調理学校として使用されています。
1914年、住友本社営繕課建築係が設計し、竣工した。 その後、焼失した。 1924年、安井武雄が設計し、再び竣工した。 1997年、国の登録有形文化財に指定された。 毎月、古楽器演奏団体によるバロック音楽のコンサートが開催される。 施設内には、理髪室やロビー、食堂、図書室、ホールなどがある。
1927年、芝川又四郎氏によって、芝川ビルが竣工する。 2006年、芝川ビルは、国の登録有形文化財に指定されている。 設計は、渋谷五郎、本間乙彦の両人が行った。 デザインは、南米マヤ・インカの装飾を纏い、木造の和風家屋が重宝されていた当時としては珍しい鉄筋コンクリートになっている。 その後、私学の花嫁学校(洋裁、和裁、習字、生け花、茶道、割烹など)「芝蘭社家政学園」を開講させた。
1930年、生駒時計店の本社として建設された。 設計は、宗兵蔵氏によるもの。 国の登録有形文化財に指定。
1912年、証券会社仲買業者の社屋として竣工した。 また、国の登録有形文化財に指定された。
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現在は、三井住友銀行大阪本店になっているが、もとは、旧住友銀行大阪本店である。 前身に大阪銀行がある。 1662年、泉屋平兵衛友貞が両替商を手掛けたことが、金融業務を始め、泉屋両替店がその起源となる。 1895年、住友吉左衛門の個人経営によって開業した。 1930年、竣工し、現在も残る。
大正時代、旧報徳銀行大阪支店として使用されていた。 現在は、パティスリーとなっている。
ええもん
内部では洋菓子店として有名な五感が営業しており、差し入れやお土産にも人気の商品が並ぶ。 なかでも、ロールケーキや丹波黒(黒大豆)を使用したマドレーヌ「ええもん」が好評。
大阪市立愛珠幼稚園の園舎は、国の重要文化財に指定されている。 1901年、日本で初めて幼稚園舎として完成した。 2006年、日本最古の木造現役園舎として、国の重要文化財に指定された。 デザインは、寺院のような千鳥破風屋根の入口や格子などが特徴。
1931年、東洋紡績による寄付を基に日本綿業倶楽部の施設として竣工した。 2003年、国の重要文化財に指定されたジャコビアン様式の歴史的建造物である。 2007年、近代化産業遺産に認定。 1932年、リットン卿を団長とする国際連盟日華紛争調査委員会メンバーが来館するなど、戦前の日本外交の舞台にもなっている。
1930年、旧三菱商事大阪支店のビルとして建設された。 現在、大阪農林会館として使用されている。
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豊臣秀吉が大坂城を築城の際、東横堀川を外堀として整備した。 江戸時代、京都と大坂を結ぶ京街道の起点となった。 また、大坂と地方を結ぶ街道がこの橋まで延伸された事から、大坂の玄関口として整備された。 明治維新後、明治政府はここに里程元標を置き、西日本の道路の距離計算の起点となった。 1870年、大阪初の鉄橋として架け替えられた。 1929年、鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け替えられ、現在に至っている。
1877年に創立された日本初の自給教会「浪花公会」である。 アメリカのノースウェスタン大学で神学を学んだ澤山保羅が日本初の按手札を受けて初代牧師となる。 1930年に竣工した歴史ある建物として知られるキリスト教教会である浪花協会。 ゴシック様式の尖塔窓と黄色や緑色の色ガラスで飾られ、意匠性の高い塔屋を持つ地上3階の建物。 明治中期、八幡商業高等学校の英語教師として来日したウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した。
大正時代、天部又吉氏のデザインによって建設された。 昭和初期、銀行として利用され、現在は、飲食店となっている。