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三島由紀夫作品「豊饒の海」春の雪 散歩

第1巻 「春の雪」の旅

三島由紀夫作品「豊饒の海」春の雪 散歩 第1巻 「春の雪」の旅

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三島由紀夫作品「豊饒の海」春の雪 散歩 第1巻 「春の雪」の旅

三島由紀夫作品「豊饒の海」(ほうじょうのうみ)散歩 作品"豊饒の海"は、三島由紀夫が懐く唯識論を基本に物語が完璧なまでに展開されている。 そんな作品の舞台となる場所を歩きました。 先ずは、第1巻 「春の雪」の旅を纏めました。

  • 第1巻 「春の雪」は、学校での日露戦役の話題から始まる。 松枝清顕の家にある日露戦役写真集のうち、もっとも清顕の心にしみ入る写真として、明治37年6月26日の「得利寺付近の戦死者の弔祭」と題する写真であった、という。 その写真にある風景が、後の作品の重要な幾つかの場面と二重写しになるように描かれている。 日露戦争最中の明治37年6月26日曜日中国旅順近くの徳利寺附近で、戦死者を弔う日本軍の儀式がありました。遼東半島で孤立していたロシア軍旅順軍団に、ロシア軍シベリア第一軍団が合流しようとしており、2つの軍団を分断すべく、日本軍は後者と戦ったのです。日本軍にも1,145名の死傷者がでました。

  • 松枝侯爵邸は、渋谷の郊外の広大な地所を占めていた、とある。 西郷從道邸をモデルにした、との事。 現在、小高い丘がある東側が西郷公園として、そして回遊庭園のあった西側が一部復元されて菅刈公園として残されている。そこに建てられていた洋館は犬山市明治村に保管されている。また、母屋だった日本家屋は焼失している。 三島由紀夫もその洋館を訪れ参考にしたとの事。 写真は、モデルとなった西郷從道邸の洋館。 二階には、二間続きのゲストルームがあり、シャムから留学に来た二人の王子バッタナディドとクリサッドが、その部屋を二人の寝室に当てられていた、と作品にはある。

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      写真は、モデルとなった西郷從道邸の洋館。 この洋館が渋谷の郊外にあった頃、明治天皇の御幸があり、この2階のバルコニーから庭で開催されていた角力をご覧になっている。 そう言えば、洋館の一階に角力の人形が飾られていたことを思い出しました。

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      写真は、モデルとなった西郷從道邸の洋館。 清顕の父は、洋食が好きで帰宅が早い時は親子三人でこの洋館の小食堂で晩餐をとった、と作品にある。

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      写真は、モデルとなった西郷從道邸の洋館。

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      写真は、モデルとなった西郷從道邸があった渋谷郊外にある西郷公園。 西郷從道邸は、6万坪の敷地でしたが、作品の松枝侯爵亭ほ、14万坪の敷地があり、その北東は道玄坂の坂上まであったように書かれている。

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      清顕と本多が、庭にある紅葉山の石段を上り丸い草地になる頂きで寝そべる話が作品にある。 現在ある西郷山公園は、丁度その紅葉山の一部ではないかと思って散歩を楽しみました。 写真は、その頂き。なお、鉄でできた2羽の鶴は有りませんでした。

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      松枝侯爵邸には、滝があったとある。 西郷公園の高台には、枯れた小川があり、下に向かって流れている。当時の滝を彷彿させてくれる。 そして、たまたま松枝侯爵邸に遊びに来ていた綾倉家縁戚の奈良にある月修寺御門跡が、この犬の屍から法話を思いつきお話になる。その話を本多が拝聴することになる。 滝は、まさに三島由紀夫が言わんとする唯識論の比喩として、後に本多に語らせる。

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      春の雪で描かれる庭の風景が、当時の地図を眺めていると蘇ってくる様な気がする。 地図にある右側の小さな建物が洋館であり、左の池に近い方の大きな建物が日本家屋。

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      モデルとなった西郷從道邸の庭園に関する論文がある。 写真は、そこに記載されている日本家屋。 写真には、母屋である日本家屋と池の間に着物姿の女性が母屋に向かって誰かを待っているかの様に立っている。 清顕と本多が紅葉山から奈良にある月修寺御門跡が庭先に出てくるのを待つ女性群の中から聡子を見つける風景を彷彿させてくれる。

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      洋館 西郷從道邸の庭園に関する論文にある洋館。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/61/5/61_5_389/_pdf 池に面して建てられているのが分かる。

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      池 西郷從道邸の庭園に関する論文にある池。 本多が清顕を乗せて船を漕ぎ紅葉山に渡る作品の風景が蘇る。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/61/5/61_5_389/_pdf

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      庭園全体像 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/61/5/61_5_389/_pdf

  • 清顕とバッタナディド殿下と語らい   バッタナディド殿下が清顕にワット・ポー寺院の写真を見せながら、 「すべての神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素からから成立ち、時間や空間によってわれわれと隔てられているものが、現前としていることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いづれも手で触れることができない点でも共通しています。(省略)事物にはすべて神聖なものが具わっているのに、われわれの指で触れるから、それらは汚濁になってしまふ。指で触れるものをけがし、しかも自分のなかには、神聖なものをになりうる素質を持っているんですから」 との話の中で、清顕は、誰にも告げたことのない夢日記の話を語っている。

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  • 帝国劇場   作品に、白煉瓦の三階建がゆらめえて近づいてた、と作品にはある。 ここで、清顕は、2人の王子に聡子を紹介している。 大正時代の写真をWikipediaから借用している。

  • 雪の日、清顕と聡子は麻布にある聡子の家から俥を走らせている。 そこには、2人の初めての接吻の場面が描かれている。 そして、俥が麻布三連隊営庭にたどり着く。その際、あの明治37年6月26日の「得利寺付近の戦死者の弔祭」と題する風景が清顕の脳裏に幻として現れ現風景に重なる。 三島由紀夫が抱く戦死者への思いが表現される。 当時の麻布三連隊営庭があった場所に、今は国立新美術館などが建っている。国立新美術館別館の一部に当時の姿が残されている。 写真は、当時の正面玄関。

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      現在、国立新美術館が建っている。 美術館への入り口が、ほぼ昔の正面門の位置になる。 美術館が麻布三連隊営庭の建物の位置に建てられているが、当時の左側の一部が保存されている。それが白い建物。

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      当時の麻布三連隊営庭の建物の一部が保存されている。

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      当時の麻布三連隊営庭の建物模型

  • 学習院大学 大学のWebに作品「豊穣の海」に関わる敷地内の情報が記載されている。 http://www.gakushuin.info/2010/06/post_154.html 写真は、大正時代と現在の大学との地図を重ね合わせたものが記載されている。

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      学習院大学 大学のWebに作品「豊穣の海」に関わる敷地内の情報が記載されている。 http://www.gakushuin.info/2010/06/post_154.html 写真は、大正時代と現在の大学との地図を重ね合わせたものが記載されている。

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      血洗いの池 清顕や本多が授業の合間に散策する血の池 http://www.gakushuin.info/2010/06/post_154.html

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      パッタナディド殿下とクリッサド殿下が住んでいた学習院の寮 東別館 http://www.gakushuin.info/2010/06/post_154.html

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      天覧台 パッタナディド殿下が、金の護門神ヤスカの、一双の半獣の顔に守られた濃緑のエメラルドの指輪をなくしたとして探した場所。 今は、天覧台の跡地が北1号館あたりだったとのこと。 http://www.gakushuin.info/2010/06/post_154.html

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  • 清顕が、勅許が降りた綾倉家に忍んで出かける。 六本木六丁目から市電に乗り終点で降りる。 この写真にある当時の地図を見ると、市電の終点は今の鳥居坂下の交差点にあたる。地図の黒い線がその市電を示している。 そこに人力車駐車場があり、清顕は俥に乗り目と鼻の先にある綾倉家の長屋門へ行き、清顕の母が既に帰宅したかどうかを調べている。 母が帰宅済みである事を知ると俥を鳥居坂際まで戻している。そして、車夫に蓼科を呼びにやらせている。 地図を見ると、鳥居坂を上った所に長屋門を持つ綾倉家のモデルになった、と思われる家がある。地図にピンで示した場所である。現在、鳥居坂ハウスがある場所あたりのようである。

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      鳥居坂から鳥居坂交差点を見下げる。 ここに市電の終点があり人力車駐車場があったことになる。 この交差点を右に行けば六本木ヒルズに出る。

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      綾倉家があったと思われる箇所。 丁度、鳥居坂を登りきったあたりになる。右方向が下り坂になる。

  • 蓼科は、清顕を知り合いが経営する軍人相手の下宿屋に俥で案内する。 蓼科は、車夫に、霞町三番地あたりから、三連隊の正門のほうへ廻って下りてゆく坂道があります。その坂を降りたところ、であると伝えている。 そこは、板塀に囲まれた広い庭の二階建ての下宿屋である、と描かれいる。 当時の地図を見ると、それに当たりそうな家が一軒見つかりました。その家にピンで、また三連隊の正門と鳥居坂にある綾倉家にピンで示している。 写真にある下半分が現在の地図にそれらの場所にピンを立ててある。 作品の舞台風景が明確になる。 3日後、この下宿屋の二階で清顕は、聡子と密会する。。

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      霞町三番地あたりから、三連隊の正門のほうへ廻って下りてゆく坂道があります。その坂を降りたところにあった軍人相手の下宿屋は、丁度、左の建物あたりである。 しかし、当時なかった新道が通っており面影がない。

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      軍人相手の下宿屋は、確かに鳥居坂方面から来ると下り坂になっているのが分かる。左奥が下宿屋の位置になる。

  • 帝国ホテル 金の護門神ヤスカの、一双の半獣の顔に守られた濃緑のエメラルドの指輪紛失事件後、二人の王子バッタナディドとクリサッドは、学習院の寮にいられなくなり帝国ホテルに移っている。 当時の帝国ホテルもその一部が犬山市明治村に保管されている。 写真は、その帝国ホテル。

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  • 松枝侯爵鎌倉の別荘 ここで清顕、本多、そして二人の王子の四人が夏を楽しく過ごしている。現在は、鎌倉文学館として使われている。 この建物は昭和11年前田侯爵別邸として建てられ、戦後はデンマーク公使が借りていた時もあり、松枝侯爵邸のモデルとして三島由紀夫が取材した時は佐藤栄作首相が借りていた、との事。 写真は、現在の鎌倉文学館。 三島由紀夫が描く風景が今でもそのまま残っているのが嬉しい。

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      鎌倉別荘の裏山から望む大仏 清顕、本多、そして王子二人は、別荘に着くと裏山を登る。その途中、ある場所から大仏の丸い背の、衣の襞なども大まかなのが、正面に見え、お顔は横顔ばかり、、、と書かれている。 その大仏を望むや、二人の王子は地面に膝ま付き礼拝する姿を清顕と本多は、王子二人が観念も信仰も隔たる世界へ飛び去ったような気がした、と記している。

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  • 由比ヶ浜 四人は、裏山の散策後まっしぐらに庭を駆け下り、松林を抜けて、畑を通って砂浜へ出て水の中で遊び砂浜で寝転んでいる。 別荘の建物から砂浜まで700メートルほどの距離である。

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      三島由紀夫は、本多を通して、 「海と陸とのこれほどの壮大な境界に身を置く思ひは、あたかも1つの時代から1つの時代へ移る、巨大な歴史的瞬間に立ち会っているような気がするではないか。そして、本多と清顕が生きている現代も、1つの潮の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかった。(中略)大きな白い奔馬は、小さな奔馬になり、やがてその逞しい横隊の馬身は消え去って、最後に蹴立てる白い蹄だけが渚に残る」

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      松枝侯爵鎌倉の別荘から由比ヶ浜を眺める。  海に行くために芝生を超えるとそこに松林や畑があったとある。 別荘に夜着いた聡子は清顕と海で遊ぶ。 夜の浜辺にあった漁師の小舟の中で二人は過ごしている。

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  • 横浜の桟橋 松枝侯爵鎌倉の別荘で夏休みを清顕、本多と一緒に過ごしていた王子二人は、月光姫の悲報を受け取り、その1週間後に船で国に帰ることになる。 清顕は、横浜の桟橋まで見送りに行くが、「彼は今こそ、自分の若さの最良の時が、沖合遠く消え去ってゆくのを感じた」、と作品で語っている。 写真は、横浜赤煉瓦倉庫の前から新港埠頭を眺める。

  • 六本木天祖神社 蓼科は、清顕の子を身籠る聡子を連れ鳥居坂にある邸から六本木に向かって散歩に出る。 御影石の玉垣に天祖神社とある狭い境内に入る。拝殿前で頭を垂れてから、小さな神楽堂の裏へ行く。側面から神楽を見る人の座席になる石材に腰掛けて、2人が清顕の子の扱いについて話し合う。 聡子は、蓼科に、「このことは、何もかも一切清様にお知らせしてはいけません」、と語っている。

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      六本木天祖神社 拝殿 残念なことに拝殿の裏にはビルが建ち神楽をやるような場所は無くなっていました。

  • 九段の滝 滝は、まさに三島由紀夫が言わんとする唯識論の比喩として、清顕の心を表現している。 「1人で過ごす日曜はとりわけ辛く、池を移る雲の影を眺めていた。又、遠い九段の滝を茫然と見つめ、なぜかくも続いて落ちる水が尽きぬかを訝り、なめらかな水の連鎖の不思議について考えた。それが自分の感情の姿のような気がしたのである」 写真は、西郷邸の庭園であると記された絵。そこには、九段の滝と思われる滝が描かれている。

  • 三越の獅子の彫像がある入口で 聡子が支度のために三越に買い物に行く際に、蓼科が獅子の彫像がある入口で午後三時に出会えるように清顕と手はずを整える。 近くのお汁粉屋で三人で言葉を交わしている。 又10日ほどで逢うという不確かな約束をして二人は別れている。 写真は、日本橋三越前の獅子の彫像。

  • 清顕と本多が第一時限と二時限の授業の合間に小径を歩きながらの2人の会話が展開する。 清顕と本多は、秋の森に目に立つ様々のものがおちている小径で土竜の屍を見つける。松枝家の滝口で見つけた犬の屍を2人は思い出す。 清顕が、その土竜の屍を池に捨てるのを見て、本多は、彼の心の荒廃を読み取っている。

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  • 聡子が大阪へ旅たつ 東京を発つ直前に、一目だけ清顕と会わせて欲しいとの聡子の希望で、清顕は母を見送るとの名目で新橋駅まで行く。 新橋・下関間の特別急行列車は、朝の9時半に新橋を発ち、,11時間55分で大阪へ着く、とある。 聡子とその母、そして清顕の母の3人は、その展望車に乗る。 展望室での見送りが、聡子と清顕が顔を合わす最後の機会となっている。 写真は、9025形ステン9025。

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  • 月修寺へ (奈良にある円照寺がモデル) 聡子と母親である伯爵夫人の二人は、11月18日の午下り、大阪の病院を発ち桜井線帯解駅に下り立った。 写真は、現在の帯解駅。

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      月修寺へ  駅の人にたのんで俥を呼んでもらう。待つあいだ、伯爵夫人は一人駅の周りを歩いている。聡子は一等待合室に残っていた。 駅前に、近くの帯解寺の案内があった。 「日本最古安産求子祈願霊場。 文徳・清和両帝、染殿皇后勅願所。 帯解子安地蔵、子安山帯解寺」 と、ある文字が、聡子の目に触れないでよかったとまづ思った、とある。 写真は、帯解駅前にあった帯解寺の案内。

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      線路沿いに立ち並ぶ並ぶ枯木が、向こうへゆくほど順々に高くなって、線路を越える小さな陸橋にまで及び、その橋の袂に、大そう美しい黄色いものが見えるのに誘われて、夫人は裾をからげて坂道を登った、とある。 写真は、帯解駅構内からその小さな陸橋を望む。

  • 月修寺へ  あまりにうららかだったので、二台の俥は幌を外して走っている。 二、三の旅籠のある町を抜けて、しばらく田の間の道をゆき、むこうの山々をひたすら目ざしてゆくと、その山ふところに月修寺があるのである、と作品にある。

  • 月修寺(円照寺がモデル) 月修寺の石の門柱が近づいたが、門内にゆるやかに昇ってゆく坂道と、一面の白い芒の穂を透かして見える仄青い空と、低い山なみの遠望のほかには、なにもない、と作品にある。

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      月修寺 しかし門内に入って俄かに木深くなるので、日ざしはもう汗ばむほどではなくなっていた、と作品にある。

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      月修寺 つらなる敷石の奥に玄関の見える平唐門の前で、伯爵夫人と聡子は俥を下りた、と作品にある。

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      月修寺の夜、聡子の遁世の志 聡子は自ら髪を切っていた。その切った髪を経机に供へ、数珠を手にして、一身に祈っていた姿を伯爵夫人が見つける。 「お髪を下ろしたのね」 と夫人は、娘の体を搔き抱くようにして言った。 「お母さん、他に仕様はございませんでした」 と、作品にある。 事情を知った門跡は、聡子の遁世の志は明らかであるから、月修寺の御附弟に聡子を迎入れた入れたい、という話が伯爵夫人に伝えられた。

  • 月修寺の聡子に会いたく清顕が向かう 月修寺の御附弟となった聡子に会いたく清顕が、親である公爵夫妻の目を盗み、本多からお金を借りて登校先の学校から直接、2月21日の朝に月修寺へ向かう。 晩、大阪のホテルに泊まり、次の朝、帯解の町にある葛野や旅館という商人宿に部屋を取っている。 写真は、帯解の町の帯解寺のある風景。

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  • 松枝清顕は二十歳で死ぬ。 午前、午後となんども月修寺を訪れ、白々と閉め切った玄関の障子の外から声をかけているが、門跡にさえ会わせてくれなかった。 肺炎にかかっていた清顕は、体力もなくなり25日の夜には電報で本多に来てくるるよう依頼している。 そして、本多が東京に連れ帰った清顕は、その2日後に20歳で亡くなている。 本多への最後の言葉は、「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」

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小柳 恵一
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