
歌舞伎町&ゴールデン街・新宿の下町を歩く
東京歌舞伎町&ゴールデン街・新宿の下町を歩く
まいどまいど! 東京都を代表する繁華街の一つっちゅうたら、新宿やおまへんでっしゃろか。 新宿には東京都を代表する東京都庁や東京都議会、ほんで、そのビルの上には展望台、下には議員食堂があるなど、一般の人も気軽に遊びに出かけることもできまんねん。 その一方、木造建築など昔ながらの雰囲気を今に残す商店街「新宿ゴールデン街」があり、これまでにぎょうさんの著名人が訪れるなど、新旧が入り混じるエリアともなってまんな。 そもそも新宿という名の起こりは江戸時代から庶民の間で利用されてきた青梅街道、甲州街道の宿場町「内藤新宿」であったことから。 比較的に新しかったことから「新宿」という言葉が生まれ、今に語り継がれてきた深い歴史がおます。 さて、そんな新宿でんねんけど、歌舞伎町の街にしたいという思いから生まれた歌舞伎町から、温泉街から毎日温泉を運搬しているという温泉施設、ほんで、迫力のあるゴジラが現世によみがえった!?東宝の映画館。 ほんでさらに、今、外国人観光客の間で人気となっているロボットレストランなどを訪ねていきまっせ!
東京都の新宿区と渋谷区にまたがる新宿駅には、東日本旅客鉄道(JR東日本)、京王電鉄、小田急電鉄、東京地下鉄、東京都交通局(都営地下鉄)の停車駅の一つ。 1日平均の乗降客数は約353万人で世界一位、ギネス世界記録にも認定。 1885年、日本鉄道の開業に伴い、新宿駅が開業。 1931年、日本国有鉄道と私鉄各社を含めた利用客数で日本一位。 1966年、日本国有鉄道と私鉄各社を含めた乗降客数で日本一位。
新宿
駅周辺は日本最大の繁華街・歓楽街へと発展。 「新宿」という名の由来は、江戸時代に甲州道中(甲州街道)・日本橋と高井戸間に作られた宿駅「内藤新宿」から。 東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光街道(奥州街道)の千住宿と並ぶ江戸四宿の一つ。 地名から四谷新宿とも。
東京都新宿区と青梅市、山梨県甲府市とを結ぶ街道。 現在、新青梅街道が整備され、旧道は、「旧青梅街道」と呼ぶ。 現在の青梅街道は、新宿と青梅市を結ぶ経路のことを指すが、江戸時代では甲州街道の第1宿場「内藤新宿(新宿三丁目交差点付近)」で甲州街道から分岐、青梅を経由して甲州の酒折(甲府市)で甲州街道と合流。 また、内藤新宿は甲州街道との分岐点「新宿追分」と呼ぶ。 宿場は、東京都内では、中野宿(中野区)、田無宿(西東京市)、小川宿(小平市)、箱根ヶ崎宿(西多摩郡瑞穂町)、青梅宿(青梅市)、氷川宿(西多摩郡奥多摩町)。 山梨県内では、丹波宿(北都留郡丹波山村)、塩山宿(甲州市)、小原宿(山梨市)。
公共交通機関の発展とともに
1603年、江戸城築城を目的に青梅の成木村で採れた石灰を運搬する道路として、大久保長安の指揮の下「成木街道」を整備。 別名、甲州裏街道、大菩薩峠越え。 1869年、新宿と田無間に乗合馬車が開通。 1878年、最大の難所であった大菩薩峠を迂回するルートとして柳沢峠が開削され、変更。 1921年、新宿と荻窪戸を結ぶ路面電車(西武軌道)が開通し、都電杉並線(都電14系統)となったが、廃止。
正式名称は新宿西口商店街。 別名、やきとり横丁、ションベン横丁。 1946年、空襲の跡が残る戦後にできた闇市から現在に至る。 全盛期には約300の店舗が軒を連ねていた。 ここでは、やきとり屋やもつ焼き屋、金券ショップや定食屋など。
1952年、商店会「西口本町会」として発足。 十二社熊野神社の祭礼が催されるようになり、当地区の氏子が集まり「新宿西口睦」を発足。 街路灯が設置され、「ギンヤンマ」「角筈南瓜」のシールを敷設。 かつて当地には淀橋浄水場があり、ギンヤンマが飛び交い、江戸東京野菜として知られる角筈南瓜の産地として有名であったとか。
正式名称は、新宿ダイビル。 1979年、「新宿情報ビル・スタジオアルタ」として竣工。 壁面には日本で初めてとなる大型街頭ビジョン(アルタビジョン)を設置。 7階には多目的劇場「アルタシアター」がある。 アルタシアターは旧スタジオアルタとして知られ、公開生放送番組「笑っていいとも!」の収録などが行われていた。 名称の由来は「オルタナティブ(ALTernAtive:既存のものに対する新しいもの、常に新しいモノを発信する」。 新宿アルタのキャッチコピーは「アルタDEデート」。 その他、三越伊勢丹が運営する商業施設があり、若年層向けの衣料・雑貨、ファーストフード、コンビニエンスストア等が入居する。
東京都新宿区内にある町名。 飲食店、居酒屋、遊技施設、映画館、宿泊施設などが集中する日本最大の歓楽街。 札幌のすすきの、福岡の中州と並んで日本三大歓楽街の一つとも。 昼夜問わず、ネオンなどの照明で明るく、人通りが絶えないことから「眠らない街」「東洋一の歓楽街」「欲望の迷宮都市」「外国人労働者の新租界」との異名も。 「大久保」という地名の由来となる窪地の湿地帯と元大村藩主大村氏邸があった場所として知られ、明治時代は鴨場となっていた。
歌舞伎町
1893年、淀橋浄水場が建設、残土で鴨場の池を埋め立てて、造成。 1920年、東京府立第五女学校(東京都立富士高等学校・附属中学校)が開校。 1945年、東京大空襲で焼失したが、石川栄耀や鈴木喜兵衛らによって「歌舞伎の演舞場などを建設」という復興事業案がまとめられ、歌舞伎町と名付けられたが結局、実現しなかった。 1952年、私鉄各社が新宿に乗り入れるようになり、飲食店、映画館などが開業し、発展。
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2015年、新宿コマ劇場、新宿東宝会館(新宿プラザ劇場)の跡地に建設された複合インテリジェントビルが開業。 地上30階、地下1階建。 1~2階には、物販・飲食店舗・遊技場。 3~6階には、シネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」。 8~30階には、宿泊施設「ホテルグレイスリー新宿」。 8階のホテルロビーには、実物大でガラス繊維補強セメント(GRC)造のゴジラヘッド。 低層部の外装は劇場の幕をモチーフにデザイン。 高層部は1枚のモノリスを立てたイメージで、客室の明滅する明かりをスクリーンのピクセルのように抽象化。 2008年、新宿コマ劇場と新宿東宝会館が閉館。
低層の木造長屋が立ち並ぶ飲食店街。 かつての文壇バーなど個性的な店が点在し、小説家の中上健次氏、ノンフィクション作家の佐木隆三氏、漫画家の赤塚不二夫氏、画家の岡本太郎氏、小説家の開高健氏をはじめとする作家、編集者、映画監督、俳優、政界、官界、財界の関係者が集まるとか。 東京におけるサブカルチャーやアングラ芸術の発信地の一つとも。 路地には、G1通り、G2通り、あかるい花園一番街、あかるい花園三番街、あかるい花園五番街、あかるい花園八番街、まねき通りなどの名称がある。 新宿ゴールデン街の区画全体が、付近に鎮座する花園神社の氏子地域となっている。
戦前
終戦後の混乱期には闇市があった。 関東尾津組による「新宿マーケット」が広がり、飲み屋街「竜宮マート」に変貌。 1949年、連合国軍総司令部が闇市撤廃を指示、闇市の各店舗は移転を命じられ、現在の新宿ゴールデン街に発展。 繁華街から離れた「よろめき横丁」では飲食店という名目上、赤線に似た営業を続け、風俗営業法の許可を取っていない店舗も多かったことから、俗称で青線とも。 売春防止法施行により全て廃業。
祭神は、倉稲魂命、日本武尊、受持神。 江戸時代以前、大和国吉野山(奈良県吉野郡吉野町)より勧請。 江戸時代、周辺には甲州街道の宿場町「内藤新宿」が開かれ、その鎮守として祭られた。 寛政年間、朝倉筑後守が拝領、その下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなり、氏子が幕府に訴えを起こし、尾張藩下屋敷の庭の一部であった現在地を拝領し、遷座。 当時、多くの花が咲く花園の跡であったことから花園稲荷神社とも、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから三光院稲荷とも、地名から四谷追分稲荷とも。 大正時代、稲荷神社に改称後、花園稲荷神社に改称。 雷電稲荷神社、大鳥神社を合祀、花園神社に改称。
境内
境内には、芸能浅間神社、威徳稲荷神社、三社稲荷神社。 花園神社の拝殿には、新宿区指定有形文化財(彫刻)に指定された唐獅子像。
2008年、東京本社は業務拡張に伴い、東京都千代田区から新宿区の旧新宿区立四谷第五小学校に移転。 吉本興業のスタッフ養成所「よしもとクリエイティブカレッジ」を開校。 吉本興業は大阪吉本として大阪府大阪市中央区に拠点を置き、当地を東京吉本と呼ぶ。 映画会社・東映の前身、太泉映画を設立。 明治時代に創業し、大正時代には東京、横浜に進出。 1920年代、寄席「川竹亭」を「神田花月」に、寄席「新富亭」を「横浜花月」として開場、興行街・浅草公園六区の演芸場「遊楽館」などを開館。 1935年、東京吉本の本拠地「浅草花月劇場」を開業。
大阪吉本と東京吉本
大阪吉本では伝統的な演芸路線であったのに対し、東京吉本では軽演劇の実演、映画の上映、流行歌手の歌、漫才などの演芸でバラエティに富んだプログラムを組み、定員700人の浅草花月劇場はいつも満員で、劇場前も行列であったとか。 1938年、東京の江東地区で「江東花月劇場」を開業。 1940年代、吉本の傘下に入って演芸場に転向する映画館が続出。
東京吉本として
1980年代、漫才ブームが到来し、上京してくる大阪の吉本のタレントのマネジメントを主とした。 1990年代、銀座7丁目劇場、渋谷公園通り劇場を開業。 2000年代、ルミネtheよしもと、神保町花月、ヨシモト∞ホールを開業。 1995年、吉本総合芸能学院(NSC)東京校を開校。
天然温泉、炭酸泉、岩盤浴が楽しめる温泉施設。 マッサージ サロン、サウナ、ラウンジを完備。 温泉は中伊豆から毎日、取り寄せているといい、別名、美人の湯とも。
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1961年に開業したとんかつ専門店。 店内はテーブル席。
トンカツ定食
キャベツやご飯は、おかわり無料。
2012年、エンターテインメントショー施設として開業。 テーマは、サラリーマンを活気づける。 新宿のサラリーマンをターゲットに、過激な衣装を身にまとった女性がダンサーとして登場し、ロボットによるショーを行っていた。 アンソニー・ボーディン、ハリウッド映画監督のティムバートンやJ・J・エイブラムスらが来店し、話題に。 マスコットキャラクター「ロボ子」が活躍。
日本の詩人、小説家として活躍した島崎藤村。 本名は島崎春樹。 1872年、岐阜県中津川市馬籠生まれ。 「文学界」に参加し、ロマン主義詩人として「若菜集」等を出版。 小説では自然主義作家として代表作「破戒」「春」等を出版。 そもそも島崎家は神奈川県横須賀市発祥の三浦氏の一族で、島崎重綱の代に木曾義在に仕えて木曽谷に入り、その長男重通が郷士として馬籠を開拓し、中山道の宿駅として整備、代々本陣や庄屋、問屋を務めた。 明治時代、当地に居住し、小説「破戒」を執筆。 明治学院大学の学友で、画家の三宅克己と交友もあった。
マンション、オフィスビルなどが立ち並び、大阪の堂山町、名古屋の池田公園周辺と並ぶLGBTタウン(女性同性愛者(レズビアン)、男性同性愛者(ゲイ)、両性愛者(バイセクシュアル)、トランスジェンダー)。 江戸時代、江戸から甲府までの「甲州街道」や成木街道(青梅街道)が整備、浅草阿部川町の名主高松喜兵衛らが幕府に願い出て許可、太宗寺門前の町屋「内藤新宿」が整備。 内藤新宿は江戸四宿の一つ、木賃宿や平旅籠が軒を連ねて賑わいを見せる一方、飯盛旅籠(遊女・飯盛女を置く旅籠)も多かった。 1873年、貸座敷渡世規則が施行、飯盛旅篭は貸座敷となり、娼妓が遊客のお見立てを待っていた張り見世もあったが禁止。
夏目漱石
1903年、東京市街鉄道(東京市電新宿線)の開通、「新宿二丁目」電停が開業。 夏目漱石も幼少期に住んでいた。 1918年、かつて当地には牧場があり、牛屋ヶ原と呼び、芥川龍之介の実父新原敏三も経営。 1945年、戦災により焼失、GHQによる公娼廃止指令により公娼制度が廃止。 赤線地帯(一部、青線)は縮小。