日本一「年明け・新年のご挨拶」が早い?桃太郎伝説の岡山を散策
岡山日本一「年明け・新年のご挨拶」が早い?桃太郎伝説の岡山を散策
まいどまいど! 岡山県を代表するお土産の一つといえば、吉備(きび)でおなじみの「きびだんご」。 桃太郎がお腰につけたきびだんご。 歩いているうちに、イヌ、サル、キジと出会い、鬼退治のために鬼ヶ島へと向かうが。 そんな桃太郎伝説が色濃く残る岡山市内には桃太郎に関する神社が点在。 神社の前には桃太郎の像が建立され、記念撮影を楽しむ観光客の姿も。 ほんでまた、織田信長、豊臣秀吉、黒田官兵衛ゆかりの高松城があり、城が丸ごと水没したことから水攻めの城との異名も。 その他、山陽自動車道の吉備サービスエリアにはレストランがあり、岡山県を代表する鬼ノ城カレー丼やデミソースカツ丼を味わうことができるとか? さらに、日本で一番、年賀状が早く配布される最上稲荷周辺。 年賀状といえば毎年お正月の期間にハガキが日本郵政の郵便によって自宅などに届けられることが一般的ですが、最上稲荷周辺にある商店街などではお正月三が日は特に初詣客などで参拝客で大変混雑し、宅配が困難のため、大晦日に配布されるという全国的にも珍しい地域。 そんな日本一新年のご挨拶が早い?岡山市北区でもっとおもろいとこを探しに出かけまひょ!
山陽自動車道上にあるサービスエリア。 施設の名称である「吉備」は所在地がかつての吉備国(備前国)であり、桃太郎や鬼退治、きびだんごにゆかりのある吉備津神社および吉備津彦神社を擁する岡山(吉備)一宮地区であることに由来。 サービスエリア内にはレストランがあり、岡山県を代表するスポットである鬼ノ城を模したカレー丼が人気。
デミソースカツ丼
岡山県を代表する名物の一つといえばデミソースカツ丼。 サービスエリアでは定番として販売され、気軽に味わうことができる。
標高175mの吉備の中山に鎮座する。 古来より、吉備の中山は神体山とされる。 主祭神は、当地を治めた大吉備津彦命。 かつて、吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となった。 足利義満によって造営された比翼入母屋造の本殿は、吉備津造で、国宝に指定。 また、社殿が国重要文化財指定。 祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み、281歳で没後、山頂に葬られた。 5代目の子孫・加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し、命を祀ったのが創建。
おみくじ
桃太郎伝説にちなんで、桃太郎伝説の物語が描かれている。
絵馬
桃太郎伝説にちなんで桃太郎伝説に登場する桃太郎をはじめ、鬼などが描かれた絵馬が掛けられている。
桃太郎伝説
この付近は古くから桃太郎伝説のルーツとされ、ゆかりの神社が鎮座、祭神が祀られている。 また、サイクリングロードが整備されている。
銅鐸
描かれてるのは主祭神の大吉備津彦命。 大吉備津彦命は第7代考霊天皇の皇子。 吉備津彦命が吉備平定にあたって鬼の温羅を討ったという伝承があいる。 温羅は鬼ノ城に住み、地域を荒らした。 吉備津彦命は犬飼健、楽々森彦、留玉臣の3名とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたという。 この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになったとか。
犬養毅は、当地出身の政治家として知られている。 犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したとか。 犬養毅は、中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁、文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣などを歴任した。
標高175mの吉備の中山に鎮座。 古来より、吉備の中山は神体山とされ、吉備津神社が鎮座する。 当社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀る。 祭神は、大吉備津彦命、吉備津彦命、霊天皇、孝元天皇、 開化天皇、崇神天皇、彦刺肩別命、天足彦国押人命、大倭迹々日百襲比売命、大倭迹々日稚屋比売命、金山彦大神、大山咋大神。 大吉備津彦命の住居跡に社殿が創建されたのが起源。 高松城水攻めの際、羽柴秀吉も武運を祈願したとか。 江戸時代、姫路藩主で岡山城主の池田利隆が本社を造営。 岡山藩主池田忠雄により本社・拝殿が造営。
大燈籠
高さ11.5m、笠石8畳の日本一大きな燈籠。 1859年、建立。
桃太郎像
主祭神の大吉備津彦命は現在に伝わる桃太郎伝説のモチーフとなったとされ、境内には桃太郎、イヌ、サル、キジの像がある。
築城時期など詳細は不明。 松山城主・三村氏の命により、備中守護代で三村氏の家臣・石川氏が築城。 城の形式は、梯郭式平城。 城の周囲は低湿地帯で、これらを天然の堀として活用していた。 1575年、備中兵乱で石川氏が主家三村氏とともに毛利氏に滅ぼされた。 城主は、清水宗治。 1582年、織田信長の家臣・羽柴秀吉は中国攻めの先鋒を任され、高松城攻め(備中高松城の戦い)が勃発。 難攻不落と言われていたが、攻城戦は持久戦となった。 軍師・黒田孝高の献策により城を堰堤で囲む土木工事を行い、水没させた。 城主は、宇喜多領の花房正成、宇喜多氏の旧臣であった花房職秀(職之)。
公園
周囲は自然豊かな地域として知られ、城址公園として整備。 園内にはかつて存在した高松城をはじめとする資料を展示する博物館もある。
高松城攻め(備中高松城の戦い)
羽柴秀吉、軍師・黒田孝高によっては以上に追い込まれた高松城攻めの詳細が描かれている。
正式名称は、最上稲荷山妙教寺。 本尊は、久遠実成本師釈迦牟尼仏。 祈祷本尊は、最上位経王大菩薩。 伏見、豊川に並ぶ日本三大稲荷の一つ。 752年、報恩大師が孝謙天皇の病気平癒の勅命を受けて、吉備山中の八畳岩で修法、最上位経王大菩薩を感得、天皇は全快したことに始まる。 桓武天皇の病気平癒祈願の功徳により、寺院建立の寄進申し出があった。 大師が霊地を求めたが、最上位経王大菩薩より宣告があり、天皇に進言し、その祈願所として龍王山神宮寺を寄進、創建し、現在の妙教寺となった。 羽柴秀吉の中国進攻の際、戦火により焼亡。 江戸時代、当地を治めた旗本の花房職之が日円聖人を招聘し、稲荷山妙教寺として再興。
中国稲荷山鋼索鉄道
1929年、山下と奥ノ院の約0.4kmを結ぶ路線として開業。 運営は、現在のJR津山線・吉備線を運営していた中国鉄道(中鉄バス)の子会社。 1944年、不要不急線に指定され、鉄材供出の名目で撤去され、廃止された。 1961年、復活計画が浮上し、稲荷山観光ケーブルが設立されたが、実現しなかった。
仁王門
1950年、旧仁王門が焼失。 1958年、再建。 インドの殿堂様式で、石造り。 全国的にも珍しく、登録有形文化財に指定。
旧本殿
1741年、再建。 新本殿建立の際、曳家工法で当地に遷座し、岡山市重要文化財に指定、登録有形文化財に指定。
妙見堂と秀吉本陣跡
備中高松城の守護神として祀られた北辰妙見大菩薩の尊像を祀る。 秀吉本陣(一の丸)は、備中高松城など備中境目七城の攻撃を目的に、羽柴(豊臣)秀吉が最初に陣を敷いた場所。 日蓮聖人の像も建立。
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愛称、岡山桃太郎空港。 1988年、岡山市南部に位置していた旧岡山空港(岡南飛行場)から移転し、開港。
航空
1994年、TIサーキット英田(岡山国際サーキット)で開催されたF1パシフィックグランプリの車両輸送のため航空貨物便が運航。
絵馬
年末年始などの期間中には絵馬が奉納。
桃太郎
空港内では至る所に桃太郎に関するグッズ・土産の販売、そして、ガラスにも。
手作り豆腐の専門店。 桃太郎豆腐や黒胡麻豆腐、柚子豆腐などを販売。 また、岡山空港温泉レスパール藤ヶ鳴が併設され、日帰り・宿泊で温泉が楽しめる施設。 泉質は、低張性弱アルカリ性泉・ナトリウムイオン泉・ラジウム温泉。