原宿駅前の表参道・竹下通りで散策、明治神宮へ
東京原宿駅前の表参道・竹下通りで散策、明治神宮へ
まいどまいど! 東京を代表する繁華街の一つ・竹下通り。 竹下通りは東日本旅客鉄道、通称、JR東日本の原宿駅前に位置し、駅から人・人・人で混雑。 まあ、せやけど、ここには全国的に活躍するタレントのタレントショップが並び、関西では京都の嵐山と並ぶメッカやそうでんな。 商店街には、可愛らしいブティックやカフェのお店もオープンし、わてが訪れた日にはぎょうさんの人で、押すな押すなの大盛況、竹下通りの約350mを抜けるだけでもえらいわやでんねん。 ほんでまた、竹下通りから少し離れた場所に位置する表参道は東京を代表する観光地の一つである明治神宮の参詣道の一つとして知られ、明治神宮前にはえらいぎょうさんのビルやマンションが建ち並んでまんねん。 その中の一つ、表参道ヒルズは大阪市旭区出身で世界的にも活躍する安藤忠雄はんが設計を担当。 施設内にはぎょうさんのお店が営業してはりました。 そんなこんなで、表参道、竹下通りを後にしつつ、次に訪れたのは、代々木公園。 ここにはかつてオリンピックの選手村が開設されていたといい、面影はおへんのですけども、当時の情景が目に浮かんでくるようでんな。
レストランやカフェ、ショップなどが軒を連ねている商店街。 竹下通りとは、原宿駅から明治通りまでの約350mの間に位置する。 昼間は、車両進入禁止の歩行者天国となる。 竹下通りは若者の流行の発信地の一つとして知られ、若年層向けの個性的なファッションやブティックの多くが店頭に並ぶ。 1990年代、アーティストとして活動する増田セバスチャンにより、「カワイイ」文化の本場として世界的に知られるようになった。 以後、世界的に有名なポップスターのきゃりーぱみゅぱみゅなどに代表される。 1977年、原宿竹下通り商店会が発足。
タレントショップのメッカ
1974年に複合ビル「パレフランセ」が開業、「竹下通り元年」とした。 竹下通りや原宿を象徴するクレープ専門店「カフェ・クレープ1号店」が開店。 「ブティック・竹の子」で販売された衣装を着用して表参道でパフォーマンスをする「竹の子族」が出現。 1987年、人気番組のグッズを扱う「元気が出るハウス」が開店、タレントショップの元祖となった。 京都の嵐山と並ぶタレントショップのメッカとして活況を呈した。
2006年、商業施設、住宅施設などを擁する複合施設として開業。 設計は、安藤忠雄。 当地にはかつて、1927年に竣工した同潤会青山アパート(渋谷アパート)が存在した。 西館、本館、同潤館から構成され、国内外の有名ブランドなどが中心。
祭神は、明治天皇、昭憲皇太后。 初詣では例年日本一の参拝者数を誇る。 境内の大部分は全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、献木が植樹。 本殿、神楽殿、隔雲亭、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館等がある。 江戸時代、肥後藩藩主・加藤家の別邸であった。 1640年、彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となった。 1874年、宮内省が所轄する南豊島御料地となった。 1912年、明治天皇が崩御。
明治神宮の歴史
東京に神宮を建設したいとの運動があり、渋沢栄一、東京市長阪谷芳郎などの有力者により、代々木御料地に神宮を建設。 1945年、第二次世界大戦により焼失するも再建。 境内の旧御苑入口付近には、代々木の地名の起源ともなったモミの巨木「代々木」が存在。 1966年、台湾の阿里山連峰の大檜を用いられた大鳥居が落雷によって焼失、1975年に再建。
東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線の停車駅の一つ。 駅名は、原宿(豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿)が由来。 1906年、日本鉄道の駅として開業。 1924年、駅舎が竣工し、都内で現存する木造駅舎では最古。 イギリス調のデザインが特徴。 1914年、代々木公園で昭憲皇太后の葬儀が行われ、引込み線を敷設し、霊柩列車出発用の代々木仮停車場を設置。 1925年、原宿変電所跡地に原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)が完成。 大正天皇が日光・沼津・葉山の御用邸に出発する専用の駅として建設された。 1952年、鉄道開業80周年を記念して「皇室専用ホーム」の一般公開が実施された。
代々木公園は旧大日本帝国陸軍の代々木練兵場。 第二次世界大戦後、ワシントンハイツとなった。 1964年、東京オリンピックが開催、代々木選手村として使用。 1967年、代々木公園として開園。 園内では、オリンピック当時の選手村の練習場であったトラックとして設けられ、織田幹雄の業績を称え通称が付いた「織田フィールド(代々木公園陸上競技場)」やサッカーなどの球技用グランドがある。 災害用給水槽があり、応急給水口が用意され、震災時には清廉な水道水を無償で給水する。 その他、サイクリングコースが整備。
公園内では
日本初飛行の地として「日本航空發始之地」の碑、代々木練兵場だった園内の一角にて大東塾生らが自刃した「大東塾十四烈士」の碑、メキシコ政府から東京都に寄贈された「ケツァルコアトル」の像等がある。
1964年、東京オリンピックの開催に備えて建設されたスポーツ施設。 第一体育館・第二体育館の他、インドアプールなどから構成。 1964年、東京オリンピックではサブ会場。 メインアリーナの第一体育館では競泳競技、第二体育館ではバスケットボール競技。 2020年、東京オリンピック・パラリンピックでも会場に。 設計は特別功労者として表彰された丹下健三氏。 油圧ダンパーを制震目的で採用した建物として日本初。 1999年、国立屋内総合競技場として日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選定。
アメリカ水泳選手団の団長
1946年、第二次世界大戦後、日本を占領していた連合国軍の一部であるアメリカ軍が当地に滞在、兵舎や家族用居住宿舎などワシントンハイツを建設。 建物は評判で、アメリカ水泳選手団の団長が「将来自分の骨を飛び込み台の根元に埋めてくれ」と申し出たとも。
- アプリで地図を見る
NHK放送センター内にある施設。 1972年、多目的ホールとして竣工。 NHK交響楽団(N響)の本拠地であり、NHK交響楽団の定期演奏会をはじめ、NHKの公開放送番組の収録や生放送、クラシック、オペラ、バレエ、ポップスなど各種コンサート、古典芸能の上演、講演会、国際会議、各種式典等に使用されている。 1955年、東京都千代田区内幸町のNHK東京放送会館隣(日比谷シティ)に旧NHKホールが完成。 1972年、現在地に移転し、杮落とし公演はラインベルガーオルガン演奏会。 1973年、NHK公響楽団による落成記念公演(ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮で第九)。
NHKホール初の紅白歌合戦
1973年、NHKホール初の紅白歌合戦を生放送。 1975年、日本初の引退興行、ザ・ピーナッツ さよなら公演(高橋圭三司会)。
NHK放送センター内にあるオープンスタジオ。 2004年、オープン。 1階は公開スタジオ。 3階はNHKアーカイブスの視聴コーナー(自由見学可)とふれあいホールギャラリー。
NHK放送センター内にある施設。 ロビーでは展示会の他、様々なイベントなどを開催。 地域の文化拠点としての役割も持つ。
NHK放送センター内にある観光施設。 公開放送が行われるCT-450スタジオ、放送の収録セットを紹介したコーナー、利用者体験スタジオコーナーなども設置。 また、収録の様子を見学することも可能。 1965年、見学者コースとして公開。 1985年、NHK展示プラザに改称。 1995年、放送70周年記念事業の一環として視聴者体験型にリニューアルオープン。 2011年、リニューアルオープン。 オープニングセレモニーでは、NHK会長や連続テレビ小説でヒロイン役を務めた女優の尾野真千子氏がテープカットを行った。 この他、イベント「どーもくんファミリーステージ」なども開催。
記念撮影「パプリカ」
人気番組や人気タレントと記念撮影も。
記念撮影「ためしてガッテン」
人気番組や人気タレントと記念撮影も。
記念撮影「どーもくん」
人気番組や人気タレントと記念撮影も。
記念撮影
人気番組や人気タレントと記念撮影も。
記念撮影「チコちゃんに叱られる」?
人気番組や人気タレントと記念撮影も。
記念撮影
人気番組や人気タレントと記念撮影も「テレビカメラ」。
1998年、NHK-BS放送開始10周年を記念してイメージキャラクターとして誕生。 誕生日は、12月22日。 2002年、任天堂ゲームボーイアドバンス向けソフト「どーもくんの不思議てれび」が発売。 2007年、ニューズウィーク日本版で「世界が尊敬する日本人」の一人に選出。 茶色の体に、赤い口が特徴。 氷河期以前に生息していた生物の生き残りで、卵の状態で休眠していたが孵化し、洞穴に住むウサギ「うさじい」の家に居候。 同じく居候のコウモリ親子「しのぶ」と「もりお」との4名暮らし。 友人は近くに住むイタチのたーちゃん、プカポワ。
どーもくん
趣味はテレビ鑑賞。 性格は優しくて力持ち。 純真無垢かつ夢見がちで大食い。 機嫌が悪くなるとオナラをする。 嫌いな食べ物は、リンゴ。 「BSデジタルどーもくん」は、「フルデジタル化スーツ(耐熱耐寒耐震構造で宇宙空間での活動も可能)」を身に着けることで変身した姿。 ベルトのバックルにはBSのロゴ。 パンチ力はゴリラの30倍で走力はチーターの50倍、ジェット旅客機の100倍の速度で飛ぶなどの能力も。
- アプリで地図を見る