上野の歴史を感じる一日散策
東京上野の歴史を感じる一日散策
上野公園ってやっぱり雰囲気が良いですよね。ただ、実はいろいろな歴史を抱えています。そんな歴史をイメージしながら上野を歩き、食事も歴史を感じれるものを頂く、そんな日はいかがでしょう。
園は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。 当時は20棟もあったそうですが、現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計でした。 一時期は隣に立つ建物が司法試験合格者が通う司法研修所として使われていたこともあります。 開園時間:午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで) 入園料:一般 400円、65歳以上 200円 (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)
洋館
ジョサイア・コンドルの設計。1階のベランダには、英国ミントン製のタイルが敷き詰められ、2階には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られた客室があります。
撞球室
コ ンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は、洋館から少し離れた位置に別棟として建っています。
和館
完成当時は洋館を遥かにしのぐ規模だったが、現在は大広間の1棟だけが残っています。
当時の様子
洋館より和館が凄く大きかった様子が良く分かります。
旧司法研修所
洋館をもしのぐ和館があった部分は、取り壊され湯島の司法研修所として使われていました。庭園も、国有財産の「司法研修所の庭」として司法修習生のグランド扱いでした。2001年から東京都に移管され、都立公園として一般開放されました。
徳川第三代将軍家光が開祖で、以来徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠るというくらいの歴史ある寺です。幕末の戊辰戦争のうち上野戦争で戦場となり大きな被害を受けています。 実は、現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内だったといわれています。しかも最盛期には、今の上野公園の2倍の面積で、東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂だったようです。ここ全体が戦場だたわけですね。またこの後、東京大空襲もありますからもう踏んだり蹴ったり。それでも今の上野公園全体からは風格が感じられますから不思議です。
彰義隊士戦死者の墓
彰義隊は、最後の将軍徳川慶喜の警護組織で、上野戦争で新政府軍に敗れ解散しました。壮絶な上野の山の戦いの記録ですね。
上野大仏(パゴダ)
度々の地震や火災で破壊されたりした歴史ある上野大仏。第二次世界大戦では金属供出令により胴体を国へ供出。面部のみが寛永寺残っています。これも歴史の跡です。
正岡子規句碑
「春風やまりを投げたき草の原」 野球好きの子規が、大学時代にベースボール大会を行っていた頃に詠んだ句の碑。子規の随筆「筆まかせ」で、明治23年3月21日午後に上野公園博物館横空地で試合を行なったとあり、ここで野球をやっていたのかぁと感慨に耽ることが出来ます。そんな歴史をふまえ正岡子規記念球場ができました。NHKドラマ「坂の上の雲」では香川照之が子規を熱演していてそのイメージで観ちゃいますね。
時鐘堂
精養軒の脇にひっそりとある時の鐘。江戸市民にも時を知らせていたそうで、現在でも朝夕六時と正午の三回鐘が響きます。江戸に思いを馳せながら聞きましょう。
清水観音堂
寛永8年(1631)に京都の清水寺に倣って建立されたお堂です。清水の舞台からは不忍池の蓮池を観ましょう。
いわずとしれた西郷隆盛像です。上野の西郷さんといわれるくらい有名な像ですが、この像の除幕式の際に西郷夫人が「これは誰の像ですか?」と聞いたくらい本人とは似ても似つかない姿だったと言います。不思議です。この像、下から見上げるのを計算して設計されているそうです。
愛犬ツン
実は愛犬のツンは後から造られました。知ってました?
公園内にある老舗の日本料理店「韻松亭」の茶室にある「喫茶去」夏にはかき氷が食べられたりする雰囲気のあるお茶どころです。
かき氷
季節によってはここでかき氷!は上がります。
池之端の本当に有名な鶏鍋のお店です。歴史を感じた後はこういうお店で食事したいですね。 奇数月の最初の営業日しか予約を取らないため、本当に予約が取れないですが、もし予約を取れたら絶対行きましょう。 ただ、若い人には少し物足りなく感じるかもしれませんので、ご注意下さい。
鶏鍋
最高の鶏鍋です。っていうか、このお鍋の1コース(7000円)しかありません。
つくね
こんな感じでつくねが出てきます。
湯島の名物居酒屋です。鳥栄が予約が取れない場合は、こちらの居酒屋がおすすめです。歴史という意味ではもう100年近く営んでいる居酒屋です。しっとり飲みましょう。何を食べても美味しいですよ。
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