正岡子規像
愛媛県松山市道後湯之町6-10
正岡子規は日本の俳人、歌人、国語学研究家として活躍。
1867年、愛媛県松山市花園町生まれ。
父は伊予松山藩士の正岡隼太常尚、母の八重は藩儒大原観山の長女。
外祖父である観山の私塾に通って漢書の素読を習い、漢詩や戯作、軍談、書画などに親しみ、友人と回覧雑誌を作って試作会を開いた。
東大予備門(一高、東大教養学部)に入学し、常盤会寄宿舎に入った。
秋山真之(日露戦争時の連合艦隊参謀)、勝田主計とは友人で、東大予備門では夏目漱石、南方熊楠、山田美妙らと同窓。
叔父・加藤拓川の紹介で新聞「日本」の記者となり、「獺祭書屋俳話」を連載。
日清戦争が勃発、第2軍兵站部軍医部長の森林太郎(鴎外)らと出会う。