茶屋四郎次郎屋敷跡
京都府京都市中京区百足屋町(新町通)375公儀呉服師を世襲した京都の豪商。
正式には中島氏。
代々、茶屋四郎次郎を襲名する習わしであった。
1500年代、信濃守護小笠原長時の家臣・中島明延が武士を廃業、京都で呉服商を創業。
茶屋の屋号は、将軍の足利義輝が明延の屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことに由来。
初代清延は本能寺の変の際、堺に滞在中の徳川家康一行に早馬で一報し、後世に「神君伊賀越」といわれた脱出劇では、物心ともに支援を行った。
これにより、徳川家の呉服御用を一手に引き受けるようになった。
二代清忠は、淀川過書船支配など物流の取締役に任命。
関ヶ原の戦後、京都の情勢不穏を家康に進言、京都所司代設置のきっかけを作る。