教諭所(宣教館)跡
京都府京都市中京区梅忠町皆川淇園門下の北小路寵(竹窓)は京都の庶民教育機関となる教諭所。
「室町竹屋町上る」の町家に開校、数年後に衰退。
1830年代、天保の大飢饉で救済活動に従事した心学関係篤志家グループの援助を得、東洞院三条下る住心院地内に開講。
京都を中心とする豪商などからの基金積立てにより、所司代間部詮勝は「宣教館」の自筆額(現日彰校保存)を与えた。
授業は毎月1、6の日は経書講釈、3、8の日は心学道話と定め、午後6時から10時まで。
授業の他、飢民救助などの社会事業に参加したのが、教諭所の教育運動の特徴。
1864年、蛤門の戦いで勃発した大火で教諭所も焼失、再建。
1869年、下京四番組中の小学校となった。