石田波郷宅跡
東京都江東区北砂2丁目1-38
1913年、愛媛県温泉郡垣生村生まれ。
本名は哲大。
中富正三(俳優・大友柳太朗)に勧められて俳句をはじめる。
俳号は山眠、二良。
同級生と句会「木耳会」を開設、教諭・渋柿派の俳人堀田北田に指導を受け、村上霽月主宰の今出吟社に出入り。
「ホトトギス」の五十崎古郷に「波郷」の号を与えられた。
高屋窓秋、石橋竹桜子(石橋辰之助)とともに「馬酔木」の三羽烏と呼ばれた。
水原秋桜子に師事、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰。
「俳句研究」座談会に加藤楸邨、中村草田男らと出席、難解派・人間探求派と呼ばれた。
昭和時代、新興俳句運動を批判、韻文精神の尊重を説いて切れ字を重視。