若江城跡
大阪府東大阪市若江北町3丁目3若江という名称は、河内国若江郡に由来。
古くは当地で旱魃があり、農作物が大被害を受ける可能性が高まった。
この時、大般若経を唱和し雨乞いの祈願をしたところ、清水が湧き出し、農作物が救われたことから、大般若経の「若」と清水の源という意味の「江」をとり、若江郡と称せられたという。
一説では、当地は古代、河内湖があり、入り江のひとつが「若江」という名であったとか。
1382年、河内守護となった畠山基国の命で築城。
当初、守護所として、政治機能のみの城であった。
1379年、南朝から北朝に帰順していた楠木正儀が康暦の政変により、支援者の細川頼之が失脚、再び南朝に帰参したことからそれに備える為であった。