八丁堀駅(東京都)周辺のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
尾台榕堂之碑
尾台榕堂は将軍・徳川家茂の侍医も務めた幕末の名漢方医・ 1799年、信濃魚沼郡(現在の新潟県十日町市)出身。 16歳の頃、江戸に出て医師の尾台浅嶽に漢方を学んで師家を継ぎ、浅田宗伯と共に「江戸の二大名医」として称えられた。 大坂城で倒れた家茂を診察して評判を呼び、明治天皇の侍医も務めた。 診療を待つ患者を相手に診療所前には茶屋が出来たとも。 「浅田飴」の創業者・堀内伊三郎は浅田家の書生で水飴の処方を譲り受け、浅田飴を創業したとも。
電燈供給発祥の地
1887年、日本で初めてとなる火力発電所が東京電燈会社(東京電力)によって建設。 これは、工部大学校の講堂において、日本で初めての電灯が点灯してから9年後にあたる。 日本郵船会社、今村銀行、東京郵便局など周辺地域の電燈の供給を開始。 これが日本における配電線による最初の電燈供給であり、その発電設備は直立汽缶と30馬力の横置汽機を据付け、25キロワット、エジソン式 直流発電機1台を運転。 配電方式は電圧 210ボルト直流三線式。
鎧の渡し跡
江戸時代、鎧の渡しとして渡し場があった。 1872年、鎧橋が架橋、渡しは衰退。 平安時代、源頼義が奥州討伐の途中、ここで暴風逆浪に遭い、鎧を海中に投げ入れて竜神に祈りを捧げ、無事に渡ることができた。 以来、ここを鎧が淵と呼んだ。 一説には平将門が兜と鎧を納めたところとも。
立教女学院 築地居留地 校舎跡記念碑
#史跡
銀座・築地・日本橋
中央区
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