全長寺
滋賀県長浜市余呉町池原885文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き全長坊(ぜんちょうぼう)と称す。慶長2年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久沢山全長寺と改め、当寺の開山となる。
この附近は賤ヶ岳合戦の古戦場で寺をとりまく四囲の山々には今も陣地跡が残る。
中でも北方林谷の砦跡は柴田勝家の身代わりとなった毛受勝助兄弟が、数千に及ぶ秀吉軍と壮烈な戦いを繰り返し全員討死した場所。
全長寺は古くより毛受兄弟の菩提寺として、また賤ヶ岳合戦の多くの無名戦士達の霊の供養を続ける。
(以上、滋賀県観光情報サイト> 全長寺(余呉三山)を要約)