高松城址
岡山県岡山市北区高松558-2築城時期など詳細は不明。
松山城主・三村氏の命により、備中守護代で三村氏の家臣・石川氏が築城。
城の形式は、梯郭式平城。
城の周囲は低湿地帯で、これらを天然の堀として活用していた。
1575年、備中兵乱で石川氏が主家三村氏とともに毛利氏に滅ぼされた。
城主は、清水宗治。
1582年、織田信長の家臣・羽柴秀吉は中国攻めの先鋒を任され、高松城攻め(備中高松城の戦い)が勃発。
難攻不落と言われていたが、攻城戦は持久戦となった。
軍師・黒田孝高の献策により城を堰堤で囲む土木工事を行い、水没させた。
城主は、宇喜多領の花房正成、宇喜多氏の旧臣であった花房職秀(職之)。