達身寺
兵庫県丹波市氷上町清住259「丹波の正倉院」の別名を持つ。
行基菩薩によって開かれ、宗派は天台または真言系。
竹雲堤山和尚の発願により師である円通寺二十五世大庵清鑑和尚が開山。
現在は、禅宗の中の曹洞宗。
寺名は、十九山の達身堂を本堂として遷座した為、十九山達身寺と命名。
戦国時代、僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院で、織田信長が丹波平定を行った際、家臣である明智光秀が丹波の地を攻め、篠山城や保月城等が焼失。
僧侶は仏像を運び出したのだが、そのまま長い年月の間、置き去りにされた。
村人は仏像を集めて達身堂を修繕し、仏像を安置。
達身寺の仏像は、木彫仏で、一本の大木から作られる一木造り。