大阪市西区のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
大阪開港の地
1853年、大阪港として開港した。 江戸時代、「天下の台所」と言われ栄えていた大阪の船着場の一つである。 幕府の官用地として船番所・船蔵や、船奉行をはじめ与力・同心などの屋敷があったと言う。 その後、機能を大阪市港区へ移転した。
長州藩蔵屋敷跡
加賀屋当主の広岡九右衛門が蔵元を務めた。
大村益次郎先生寓地址
儒学、蘭学、医学、西洋兵隊学に通じ、幕末から明治維新にかけて日本の近代化に非凡な才能を発揮した。 長州藩(現・山口県)の医師だったという。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。 1849年から大阪市西区にある倉敷屋作衛門の座敷に住みながら緒方洪庵の適塾で医学を学び、後に明治新政府の兵部大輔(兵部省次官)となり、近代国家の制定に貢献した。
宮武外骨ゆかりの地碑
明治から昭和期に活躍したジャーナリスト。 新聞史研究家、江戸明治期の世相風俗研究家でもある。幼名は亀四郎。 1867年、香川県綾南町小野に生まれた。 "外骨"と言う名で、亀四郎の亀は"外骨内肉"の動物であることにちなみ、自ら正式に改名したもの。 晩年の外骨と生活をともにし、外骨の伝記や復刻本を多数刊行、近代史関係の著作もある吉野孝雄は甥。
小説「泥の河」舞台の地碑
#史跡
中天游邸跡
江戸時代に活躍した日本の蘭方医、蘭学者である中 天游。 1783年、京都府・丹後に生まれた。 江戸で、大槻玄沢の私塾・芝蘭堂に入門。 のちに稲村三伯より蘭学や蘭方医学を学んだ。 大坂に移り、靭本町で町医者として開業した。 その後、江戸堀に移転した。 弟子の一人に、緒方洪庵がいる。
大阪商業講習所跡
木村蒹葭堂邸跡
1736年、木村蒹葭堂は、酒造家に生まれた。 物産本草学(博物学)に精通した。 その他、オランダ語やラテン語を学び著作や画も残っている。 彼の名は博学多芸の代名詞ともなり、文人墨客との交遊が広かった。 また様々な種類のコレクションも残している。
大阪市役所江之子島庁舎跡
1889年、市制・町村制により大阪市が成立した。 また、同時に施行された市制特例により、府庁内に市役所が置かれ、府知事は市長を兼務していたと言う。 1899年、府庁から市役所を独立させるため、この地に市役所を移転した。 1912年、大阪市北区中之島に移転した。
雑喉場魚市場跡碑
大坂三大市場の一つである雑喉場の魚市が300年続いた。
撞木橋ビル
南北にかかった橋の親柱があります。この橋は「撞木橋」。西横堀に対して垂直に江戸堀があり、それにかかった南北の橋が「撞木橋」なんだそう。撞木橋ビルの1階のレストランの脇です。
大阪
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