千代田区のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
特攻勇士の像
#史跡
招魂斎庭
#史跡 #宗教施設
今川小路共同建築跡
大久保彦左衛門屋敷跡の碑
法務省 赤れんが棟
江戸城 本丸跡
江戸城 日比谷見附跡
#史跡 #ランドマーク
市ヶ谷門跡
日比谷濠
道三橋跡
1590年、徳川家康の命によって江戸城へ物資を運ぶ船入り堀として、江戸城の和田倉門橋から平川(日本橋川)の河口の呉服橋門までを結ぶ道三堀として開削され、江戸湊まで続く運河となった。 江戸で初めて人工の水路として造られた堀。 南岸には幕府の侍医、曲直瀬家(2代目道三)の屋敷があったことから、道三堀と呼ばれた。 1909年、埋め立てられ、姿を消した。 かつて、道三橋、銭瓶橋などが架けられた。
電話交換創始之地
1890年、電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布され、東京と横浜に電話交換局が設置。 東京市内及び横浜と東京間で電話交換が開始された。 当初、横浜電話交換局は4名が電話交換に対応。 東京市の加入者は155人、横浜市の加入者は42人で、電話所(公衆電話)数16。 市内通話の料金は年間45円の定額制であったとか。
伝奏屋敷跡
伝奏屋敷は武家伝奏の宿舎として設置された屋敷のことで、勅使・院使など伝奏衆が宿泊した。 1636年、伝奏屋敷の隣には評定所の建物があり、江戸幕府の最高司法機関にあたる。 三奉行(勘定奉行、寺社奉行、町奉行)が裁定できないような重大事件を扱っていたとか。
明治大学発祥の地
1691年、外濠川に面したこの付近は、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれた。 明治時代、屋敷は貸し出され、民権結社による演説会などが盛んに催された。 1881年、法律家の岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、明治大学の前身にあたる明治法律学校を開校。 1886年、神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)に移転。 1995年、「明治大学発祥の地」碑が建立。
猿楽町町会詰所
東京
Holidayへのご意見やご要望、各種お問い合わせは以下のフォームよりご連絡ください。
お問い合わせいただき、ありがとうございます。内容を確認の上、ご対応させていただきます。
送信に失敗しました。 お手数ですが、時間をおいて再度お試しください。
ログイン
Facebookでログイン
パスワードを忘れた方は こちら
初めての方は ユーザー登録 をしてください
ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。
推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版