せやせや!関西が好っきゃねん
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まいどまいど!
兵庫県の皆さま、お待たせいたしました。
かつて、兵庫県播磨町には、別府鉄道と呼ばれる機関車が走っていた時代があり、その歴史を今に伝えようと、展示、一般公開されてまんねん。
であいのみちを歩きながら、大中遺跡と出会う旅。
今回は、播磨町と稲美町と併せてご案内いたします。

★いにしえの文化漂う播磨を探検

★いにしえの文化漂う播磨を探検

まいどまいど! 兵庫県の東南部に位置する加古郡の播磨町っちゅうことで、電車ではJR西日本山陽本線土山駅または山陽電車本線の播磨町駅が便利。 いにしえの文化漂う播磨町界隈では、大中遺跡やその遺跡に隣接する形で開館した兵庫県立考古博物館が名所。 特に大中遺跡は現在、大中遺跡公園として整備され、園内には弥生時代から古墳時代にかけて形成されたとされ、当時の生活を復元した竪穴住居も見学することができまんねん。 考古博物館は参加体験型博物館として知られ、地階では様々な遺物が収蔵された収蔵庫の見学、地上階では、大中遺跡など兵庫県内で調査、発掘された研究結果が展示されてまっせ。 ・・・兵庫県では遺跡の数は全国1位なんやとか。 ほんでそれに隣接して播磨町立郷土資料館も開館。 別府鉄道? なにやら鉄道ファン必見の名所も。 ほんでまた、兵庫県では新聞の父と呼ばれるジョセフ・ヒコさんの出身地。 日本初の新聞を発刊。 月刊「海外新聞」は、半紙約5枚を仮綴したもので、手書き後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行したことでも知られてまんねん。 これは、いっぺん、行ってみる価値がありまんな。

播磨町
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播磨町

播磨町のマスコットキャラクターとして活躍する「いせきくん」と「やよいちゃん」。 大中遺跡の弥生時代の子どもたちを思い描き、名を大中遺跡からいせきくん、弥生時代からやよいちゃんと命名。 いせきくん、やよいちゃんは、古代でも、夢があって楽しく生活している様子を、見る人に語りかけるように描かれている。 背景には大中遺跡の住居、ペットのトカゲも描かれ、大中遺跡がより身近に感じるように、また古い時代からみんながなかよく生きていることを表しているという。

土山駅
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土山駅

JR西日本山陽本線の停車駅の一つである土山駅。 1888年、兵庫県明石市と加古川市、播磨町の境界上に開業以来、地域の駅として親しまれている。 また、付近には、弥生時代から古墳時代にかけて形成されたとされる遺跡「大中遺跡」があり、その雰囲気を想像させるような高見櫓が土山駅前に設置されている。 実際、この櫓は時計台になっていて、一時間に一度だけ音楽が流れ、櫓の中の人形が櫓の中を回転する仕組みとなっている。

BiVi土山
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BiVi土山

大和リーズが手掛ける商業施設「BiVi土山」。 スーパーマーケットや薬局、書店、美容室、飲食店が入居する。 駐車場、駐輪場完備。

であいのみち
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であいのみち

1923年の開業から1984年の廃線まで走っていた幻の別府鉄道土山線。 別府鉄道土山線は、現在の土山駅と別府港駅までの約4.1kmを結んでいた。 現在、廃線跡は、「であいのみち」として整備され、歩行者や自転車が往来する道へと生まれ変わった。

野添北公園 円満寺
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野添北公園 円満寺

野添北公園には、遊具が設置され、休憩スペースもあるため、地域の憩いの場として親しまれている。 また、付近の円満寺は平安時代、弘法大師によって開基と伝わる。 弘法大師空海が修行のため、全国を行脚。 途中、播磨の国に立ち寄り、阿閇の里の路傍に奇瑞を感じた。 その地を錫杖で突くと光明遍照と光り輝く岩が出現、この地を信仰の拠点と定めた。 後に播磨の元・ 中本山 光明遍照山無量寿院が建立。 巌光山円満寺は無量寿院の元塔頭寺院。

播磨町立郷土資料館
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播磨町立郷土資料館

大中遺跡を中心に整備された播磨大中古代の村(大中遺跡公園)。 その一角に播磨町立郷土資料館があり、大中遺跡の出土品を保存し、展示しているほか、偉人で「新聞の父」といわれるジョセフ・ヒコや新井開削の父、今里傳兵衛を紹介、展示されている。 また、かつて、播磨町には、土山駅と別府港駅までの約4.1kmを別府鉄道が結び、廃線になった今、博物館の裏で当時、営業走行していた機関車と客車の展示と公開をしている。

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