やっぷーと一緒に養父市におでかけしよう!
まいどまいど! 今回は兵庫県の北部に位置する養父市をご案内していきまひょ! 緑豊かな環境に恵まれた養父市は、豊岡市、朝来市、宍粟市、美方郡香美町、鳥取県八頭郡若桜町に隣接する町として知られ、ハイキングやスキー・スノボーをはじめとする観光客でにぎわってはりまんねん。 養父市のマスコットキャラクターは、やっぷー。 氷ノ山出身として知られ、観光案内、情報発信に奮闘してはります。 養父市では養父市など地域特産物の一つとして知られる但馬牛が味わえるほか、八鹿豚を使用した豚まん、朝来山椒もおすすめでんねん。 道の駅 但馬楽座 やぶ温泉ではお肌に潤いを与えることから「美人の湯」が楽しめる天然温泉。 古くから鯉の養殖が盛んであったとしても知られ、養父神社の境内の池では鯉が飼育されてまんねん。 副産物の蚕のサナギが多くあったため、昔から鯉の養殖が活発であったとも。 明延鉱山では実際の作業場が保存され、現在は探検坑道として見学することができまんねん。 跡地やその周辺には当時、使用されていた車両をはじめ、施設や街並みが現存。 皆さんもドライブに、ドライブの目的地にぜひ、立ち寄ってみてください。
天滝公園キャンプ場
天滝など天滝渓谷を中心とする天滝公園内にあるキャンプ場。 1980年、開業。 場内にはオート区画サイト、ソロ区画サイト、オートドッグランサイト、ソロドッグランサイトなどがある。 ドッグランサイトに限り、愛犬との楽しいひと時を過ごすことができる。 ただし、荷物の運搬が困難な場合は、「たなだエリア」に限り、モノレール「たなだ号」が運行され、荷物を運搬することができる。
明延一円電車
明延鉱山で実際に使用されていた明神電車の車両に体験乗車できる。 明神電車はかつて、兵庫県養父郡大屋町(養父市)と朝来郡朝来町(朝来市)とを結んでいた鉱山用軌道。 1912年、明延と神子畑間に索道を設置。 1918年、輸送力増強のため軌道の敷設。 1929年、明神第三隧道が開通し、4トン級電気機関車と1トン積鉱車による鉱石輸送が開始。 1941年、戦時体制下となり戦略物資としての重要度が増し、軌間の変更(改軌)。 1945年、人車(客車)も運行。 1952年、関係者の乗車料金は1円を、部外者は10円を徴収するものちに1円となった。 1987年、国際競争力が低下し、明延鉱山の閉山とともに廃線。
明延協和会館
明延鉱山を中心とする旧鉱山町にある施設。 中心部にあたる協和会館は劇場、映画館として使用され、最大1150人まで収容可能。 最盛期には芸能人や歌手が訪れて公演、毎月10本の映画が上映するほど。 協和会館の周辺には明延川が流れ、その川沿いにはかつて鉱山社宅が約280棟、明延小学校、銭湯、病院などの施設が約1300m並んでいた。 1956年には約4100人が暮らし、明延小学校の児童数は600人を超えていたとか。
あけのべ憩いの家
明延鉱山を中心とする明延地区の観光案内や情報発信などを行っている。 また鉱山内を見学できる体験の受付も。
旧明延鉱山 旧明盛共同浴場「第一浴場」(明延ミュージアム)
明延鉱山を中心とする旧鉱山町にある施設。 別名、資料館「明延ミュージアム」。 かつて旧鉱山町の「第一浴場」として使用されていた。 1934年、6つの共同浴場の1つとして建設され、鉱山作業員や家族らが無料で利用できた。 1987年、明延鉱山の閉山後、閉館。 一時、一般企業の倉庫として使用されていたが、全盛期の外観のまま修復。 旧鉱山の資料など約200点を保存、展示する施設となる。 周辺には明延川が流れ、その川沿いにはかつて鉱山社宅が約280棟、明延小学校、劇場、病院などの施設が約1300m並んでいた。 1956年には約4100人が暮らし、明延小学校の児童数は600人を超えていたとか。
明延鉱山の中心地跡
明延鉱山とはかつて、錫、銅、亜鉛、タングステンなど多品種の非鉄金属鉱脈を持った鉱山。 特に錫は日本一の鉱量を誇っていたとも。 平安時代、採掘開始。 1868年、生野銀山とともに官営となり、1896年に三菱合資会社に払い下げられた。 1973年、三菱金属(三菱マテリアル)となり、明延鉱業が発足。 1912年、明延鉱山の鉱石を運搬するための鉱山列車「明神電車」は現在、「一円電車」として有名に。 急激な円高に伴う銅、亜鉛、錫の市況の下落により、大幅な赤字を計上。 1987年、閉山。
養父市立あけのべ自然学校
青少年活動の宿泊・野外活動をはじめ、スポーツやキャンプなどを楽しむことができる施設、 あけのべドーム「森の館」では、林業構造改善事業の木材需要拡大施設として建設。 かつて明延鉱山など旧鉱山町に住む学生らが通う明延小学校であった。 1959年の最盛期には784名が通ってた。 1987年、明延鉱山の閉山に伴い、学生数が減少し、1988年の閉校時には11名に。 1989年、校舎を改修し、自然学校にリニューアル。
明延鉱山 探検坑道
明延鉱山とはかつて、錫、銅、亜鉛、タングステンなど多品種の非鉄金属鉱脈を持った鉱山。 特に錫は日本一の鉱量を誇っていたとも。 平安時代、採掘開始。 1868年、生野銀山とともに官営となり、1896年に三菱合資会社に払い下げられた。 1973年、三菱金属(三菱マテリアル)となり、明延鉱業が発足。 急激な円高に伴う銅、亜鉛、錫の市況の下落により、大幅な赤字を計上。 1987年、閉山。 現在、坑道は探検ルートとして人気を集め、事前予約制ではあるが、実際に観光することができる。
養父市立明延鉱山学習館
明延鉱山の歴史や実際に使用されていた車両などを展示、保存している施設。 明延鉱山とはかつて、錫、銅、亜鉛、タングステンなど多品種の非鉄金属鉱脈を持った鉱山。 特に錫は日本一の鉱量を誇っていたとも。 平安時代、採掘開始。
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